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老いるということ

先日
近所の花屋さんで
榊を買いました。

この花屋さん、
近所のよく行く
イオンの中にあって
もう20年近い
お付き合いになります。

「こんにちは」

いつものように
笑顔で挨拶を交わし
榊を二束持って
レジへ向かいました。

この花屋さんは
クレジット払いは
出来ません。

ただ
イオンカードに
ポイントはつくので
いつも
向こうから
「ポイントどうぞ」
と言って
機械をスタンバイさせて
くださるんです。

最近
新しいカードに
変えた私は
そこで少し
手間取ってしまいました。

この新しいカード、
これまでのカードと違って
用途によって
カードを通す側面が
違うのですね。

ポイントだけの時って、
どっちなのかな?

普段は
専らタッチ決済なので
こういう時に
慌ててしまうのですよね。

花屋さんに尋ねたら
どうやら
花屋さんも分からない様子。

そこで
取り敢えず
どちらか一方を
通してみることにしました。

「受け付けませんねぇ…」
と花屋さん。

反対側で再トライ。

「あっ、受け付けました!」

「このマークがある方
だったみたいです。
今度こそ憶えました」
私がそう言うと

花屋さんも
「私も、憶えました。
色んなカードがあって
私も、分からないことだらけで…」

その後
花屋さんが
こんな話を。

「年配の方は、 
こういう時
『よく分からないので
ポイントはいいです』
と遠慮されてしまうんですね。
それに、
後ろにたくさん人が
並んでいたりすると
焦ってしまったりですとかね」と。

「お互いの違いを認め合える
優しい世の中になると
いいですね。
そのためにも
まずは私自身が心に余裕を
ですね」
そんな話をして
お店を後にしました。

年をとれば
色んな機能が衰えていって
一つ一つの行動に
時間がかかったり
忘れっぽくなったりと
若い頃と同じように
出来なくなるのは
当たり前のことで。

何より
『老い』は
誰もが通る道。

現に
私自身も
47歳の今
若い頃には
何でもなかったことが
簡単に出来なくなりました。

夜になると
すぐに眠くなるし
少しでも食べ過ぎると
胃がもたれます。

普段やっていないことをすると
その後がしんどいです。

若い頃のように
無理は効かなくなりました。

70を過ぎた母も
家族の中で
記憶力は
ずば抜けて良かったのに
この頃は
忘れることが
多くなりました。
耳も遠くなってきて
何度も聞き返されるように
なりました。

私よりも
もっともっと
無理はきかなくて。

でも、
それとて
いずれ私も通る道。

そして
祖父母の通った道も
同様に。


私は
昨年から
週に2回
介護施設で
働かせていただいています。

4月までは
住居型有料老人ホームで。
その後は
グループホームで
働いています。

今の仕事は
主に掃除や洗濯
リネン交換などで
介護にあたるような仕事は
ほとんどしていません。

それでも
ホームに入居されている方とは
毎回顔を合わせますし
色々なお話もします。

入居されている方は
認知の程度も様々で
ほとんど
それと
分からない方もいれば、
今食べた物
さっきまでいた
自分の部屋や
トイレが分からなくなる
方もいます。

みなさん比較的
にこやかに過ごされていますが
それぞれ
様々な思いを
抱えていらっしゃる…
そう感じます。

ここが家ではないこと
私たちが
家族ではないことは
みなさん分かっています。

だから
遠慮もあって。

それでも
ここにいるしかない…
そう思って
我慢しているというか
諦めているというか…
滅多に口には
しませんけれどね。

色んなことが
分からないようでいて
本当は
色んなことが
分かっている
そんな風にも思います。

普段は
心の奥にしまいこまれていて
忘れてしまっている
様々な思いが
何かの拍子に
ふと顔を出して。

それは
時には
寂しさだったり
悲しみだったり
怒りだったり。

直接的な介護の機会が
あまりない私でも
入居さん
一人一人の幸せのために
出来ることがあるとすれば…

それは
やっぱり
私自身が幸せであることなのかな
と思います。

他にも
掃除や洗濯
リネン交換などの
仕事をしながら
思い、祈りを
込めるということも
出来るのかなとも。

少し前に
一人の女性が
突然退職されました。

「もう、こんな職場
やってらんないから
辞めることにした」
そう言って
彼女は去って行きました。

その後
ホーム長から
「入居者さんへの
態度や口調が
あまりにも酷くて…
辞めていただきました…」
と説明を受けました。

彼女自身が
満たされていないことは
見てとれました。

彼女が荒れている時は
その現状を嘆くでもなく
彼女を責めるでもなく
とにかく
自分を保つことだけに
意識を向けてきました。

やめて欲しいとか
会いたくないとか
そういうことは
不思議と
思いませんでした。

私が在りたい姿
それだけを意識して
日々過ごしてきました。

そうしているうちに
彼女は突然
ここを
去って行きました。


私たちは
入居さんの身の回りのお世話を
させていただきながら
同時に
入居者さんから
たくさんのものを
いただいている…
そのことを
いつも心に留めておきたいと
思います。

私たちの先を生きる人たちは
老いるとはどういうことかを
その姿を通して
伝えてくれています。

老いについて
考える機会を
与えてくださっているのです。

私は今
大きく変化していく
自分の体を
正直受け入れ切れていません。

若さへの未練も
完全に捨て切れていなくて。
怖いのです。

ただ
老いていくことを
自分が変わっていくことを
すぅーっと
受け入れられたら
どんなに幸せだろう
とも思います。

1年前
ひょんなことから
週に2回
介護の仕事を
させていただくようになり
これまで以上に
『老い』が
身近なものとなりました。

もちろん
結婚前まで
一緒に暮らしていた
祖父母や
義父の姿を通して
老い、認知症
病、介護
そして
死について
考える機会は
たくさんありました。

でも  
それから
さらに歳を重ね
今、
自分の体に
変化が訪れる中
こうして介護の仕事に
携わることになったことは
私の人生にとって
大きな意味があるのだと
感じています。

自分自身の老いと向き合うこと
それは
ある意味
これからどう生きるか
というこでもあって
今、
そのことを考える
貴重な時間を
いただいているのだと。

最近
自分の体を
大切にすることについて
深く考えるようになったことも
きっと
そうなのだろうなと。

こうして
向き合う機会を
いただいたことに
感謝して
日々を丁寧に過ごしていきたい…
そう思います。







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