生きるしかない…そう言うあなたへ。私はあなたに生きていてほしい…。
「自分で死ぬことも出来ないから…」
遠位型ミオパチーの
50代のSさんは
寝たきりで
全介助が必要です。
Sさんが
自分の意志で
行動に移せることは
口の中に入った物を
噛むこと。
飲み込むこと。
話すこと。
排泄。
わずかに残された力で
右手親指の真下にセットされた
コールボタン押すこと。
私は、
そんなSさんの入浴のサポートや
身の回りのお世話を
させていただいています。
ある日のこと。
ネットニュースで見た
ある芸能人の話から
心の風邪の話になりました。
「私も、しょっちゅう
死にたくなるよ。
でも自分では死ねないしね」
Sさんは
明るく笑いました。
私は何も返すことが出来ませんでした。
「でもね、
同じ病気の人をたくさん見てきた
看護師さんや介護士さんの話を聞くと
私は早い段階で
病気を受け入れられた方
なのかもしれない」
Sさんは
20歳の頃に病気を発症。
それでも、
30代までは
普通に仕事をしていたと言います。
その後徐々に体が動かなくなり
おそらく
30代の終わりか
40代には
今の生活になったのだと思います。
「両親には
随分とつらくあたった時期もあってね。
本当にひどい娘なのよ」
私が知っているSさんは
取り乱すことも
八つ当たりをすることも
ありません。
「私は
みんなの力を借りないと
生きていけないからね」
少し前に
Sさんの引き出しの整理を頼まれた時
ジップロックの中に入った
未開封のガムを2本
見つけました。
「あぁ懐かしい。
歯磨きガム…」
「ここに来た当時、
介護士さんが忙しそうで
歯磨きを頼むの
申し訳なくて
ガムを噛んでた時期があったの」
賞味期限は
随分と前に
切れてしまっていました。
「そんなことがあったのですね…。
思い出のガムですね。
どうします?
取っておきますか?」
私が言うと、
「いいよいいよ
捨てちゃって」
Sさんは明るく言いました。
色んな介護士さんや
看護師さんがいて
もちろん
苦手な人もいるのと。
でも
そんな人にでも
お世話にならなければ
生きていけないのだから
苦手なんて
言ってられないのよねとも。
枕の位置や
シーツのしわ一つも
Sさんの指示で
丁寧に微調整していきます。
小さな小さな不快感でも
後々響いてくるのです。
もちろん
涙をふいたり
鼻をかんだりという
私たちには
なんてことの無いことも
人の手を借りないと
出来ないのです。
だからでしょうか…
Sさんは
決して泣かないのです。
Sさんは
私の想像を遥かに越えた
たくさんの悲しみや苦しみを
乗り越えてきたに違いなくて。
死ぬこともできないから…
実は
初めてSさんに会った時
本当に本当に失礼ながら
私は
同じことを思ったのでした。
もし自分が
Sさんだったら…
きっと
この苦しみを
乗り越えられないだろう…
でも
だからと言って
自分で死ぬことも
出来ないんだ…と。
Sさん、ごめんなさい…
でも、
今
間違えなく言えることは
私は
Sさんに生きていてほしいと
いうことです。
ただ
それを私が言うのは
あまりにも無責任に思われて。
でも
心からそう思います。
死ぬことも出来ない…
生きるしかない…
Sさんが
あのベッドの上で
日々
どんな思いで
過ごしているのか…
私には
到底分かりません。
それでも…
私が私を満たすこと
私が幸せでいることが
Sさんの幸せにつながる…
そして、
それはきっと
Sさんのために
と思うことと同じくらい
大切なことに違いなくて。
実は
間もなく
この職場を
去らなければならなくなりました。
それはあまりに突然のことで。
そのことを
Sさんになかなか
言い出せずにいるうちに
Sさんの耳に
入ってしまっていたようで。
「○○さん、
やめたりしないよね…」
Sさんは
不安そうに
確かめるように
私にたずねてきました。
私は事実を話し
今日まで
言えなかったことを
詫びました。
「良くしてくれる人が
どんどんやめてくぅ…」
Sさんは、
私を気遣って
少しおどけたように言いました。
「Sさんに出会えて
私の人生は
本当に豊になりました…。
Sさんと出会えて
本当に良かったです。
感謝しています…。
今まで
ありがとうございました…」
「お礼を言いたいのは私の方よ。
私の方こそ出会いに感謝してる…」
今度は噛み締めるように
そう言いました。
泣いてはいけない…
そう思っていたのに
涙が溢れました。
それでも
それでも
Sさんは
決して涙を見せませんでした。
今私に出来ること
それは
愛と感謝を響かせながら
生きていくこと…
そう強く思います。
仕事に向かう
車の中で聴いた
槇原敬之さんの曲に
背中を押されたような
そんな気がしました。