生と死を見つめて
何年か前、
東京からママチャリを漕いで、
私の住む京都の街までやってきた人がいました。
それは、
とても寒いある日のことでした。
マンションの下に降りると、
黒いダウンを着た人が苦しそうにうずくまっていたんです。
最後に会った日から半年が経過していましたが、
そこにあるのは、
驚くほど変わり果てた彼の姿でした。
話を聴くと、
三ヶ月、
ホームレス生活をしていたと言います。
生き延びる為なら、
万引きでも何でも出来ることはやったと言っていたけれど、
その生活にも限界を感じてしまったようです。
とにかくただ命を絶やさない為に、
たった一つの繋がりだけを頼りに、
盗んだ自転車で、
二週間あまりかけていくつもの山を越え、
命がけで私の元へやって来たのでした。
辿り着くまでの間に、
何度も死を目の当たりにしたと言います。
それでも、
ママチャリが故障しなかったことと、
目指すべき場所があったことが、
彼の命を繋ぎ止めていたのでしょう。
その時私は、
死を目の前にすると、
人はこんなにも本能的に生への*執着を見せるのだ…
ということを、
ただ感じ、
納得したことを覚えています。
(*執着…維持するまたは保存する行為)
とりあえず、
彼が普通の健康状態に戻るまで居候させることになったのですが…
私には私の事情があったので、
その旨は彼にはっきりと伝えました。
すると彼は、
「次はもっと西へ…暖かい方へ行ってみるよ。」
と言って、
一週間後、
またママチャリに乗って旅立って行きました。
その時に、
迷ったあげく、
餞別のつもりで5千円渡しました。
まもなくして、
岡山から一通のハガキが届き、
そこには、
『心境の変化あり』
とだけ書かれてありました。
しばらくして、
彼はまた京都に戻ってきました。
そして、インターホン越しに、
「話がしたい。」
と言いました。
しかしその時、
私は彼を家に上げることはしませんでした。
これが甘えになって、
彼がちゃんと生きる土台を作れなければ、
堕落してしまうだけだと思ったからです。
苦渋の決断でした。
そのすぐ後…
彼はホームレス支援センターの助けを得て、
地道に足元を固め、
生活の立て直しに励みました。
そして今では、
仕事も住民票も獲得し、
京都で人並みの生活をしています。
後に聴いた話によると、
彼は西へ向かう道中に自転車のタイヤがパンクしてしまったのだそうです。
そして渡された5千円で、
タイヤの修理をして、
京都に戻って来れたのだそうです。
また彼は、
ホームレス時代にひとつだけ、どうしても出来なかったことがあったと言います。
それは、
“ゴミ箱の残飯を漁る” ことだったそうです。
何はともあれ、
彼が生きる希望を見出したのなら、
それがもっともうれしいことです。
今はもう音沙汰もなく想像するしかありませんが、
とても孤独で繊細な人だから、
きっと一人で気ままに生活していることでしょう。
…人生いろいろありますが、
みんなそれぞれに生と死を見つめ、
孤独を感じながら、
懸命に生きているんだなぁと思う今日この頃です。
《2010年4月16日記・2015年4月10日加筆修正》
♢
当時、
わたしは自分が手助け出来るギリギリの選択・判断をしました。
人は人が生きようとするきっかけにはなれても、
希望そのものにはなれません。
希望とは、
内側から湧いてくる、自分自身に対しての受容と期待のエネルギーだと思うからです。
この記事を初めて投稿したのが、10年前のmixiでした。アメブロに移行したあとも再掲したり、なんとなく不定期で読み返す機会が多い記事のひとつでもあります。
その度に、繋がりってなんだろう?生きるってなんだろう?自分のできることってなんだろう?と少し立ち止まって考えます。
でも、自分を犠牲にしてまで、誰かを助けたり救ったりすることは出来ない、そのことだけは理解しています。
だから、文章を描きつづけているのかもしれないです。
とても曖昧で感覚的な理由だけど、 こうして、体験したことを包み隠さず綴ってみることこそが、わたしにとっての自己受容であり、新たな何かに触れるための希望の灯火なのかもしれないなって、今この文章を描いていて気付けたような気がします。
だからこれからも、自分に優しくすることだけを意識しながら、その先に、自然に無意識に誰かを思いやれる自分であれたらと思います。
27歳〜31歳までの5年間、ひとり暮らしをしていた京都では、いろんな出逢いと思い出深い出来事がたくさんありました。
また綴っていきます。
♢
トップの写真は、京都の二条城前に住んでいたころ、家のドアを出たところからいつも見ていた景色です。
ここからの景色が美しすぎて、京都が大好きになりました。年に一度8月16日に五山の送り火を眺めている時間は、本当にしあわせだったなぁ。
そんなわたしの夢の一つが、京都に別宅(創作&交流スペース)を持つことです。
この2年ほどは行けてませんが、京都はわたしの第二の故郷。
またタイミングが来たら、ゆっくり訪れたいです ❤︎