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(読後)紙の動物園:衣食住本

東藤さんへ

表紙と紹介文だけで『紙の動物園』を語ってみました。複雑な過去を持つ「ぼく」を描いているお話だと思いました。しかし、読み進めていくなかで、僕の想像していた世界観はものの見事に外れていました。

血のつながりがあろうとなかろうと、ひとは互いに想像力を持って寄り添いながら、ときに憎しみ合うなかで、愛を育んでいることもあるのだと思います。

「ぼく」の両脇に「父さん」と「母さん」はいる風景は、実は「母さん」と「ぼく」のこれまでから入り、現在にいたり、そして「ぼく」は「母さん」の過去を知ることになります。

時計の針は誰にとっても同じように進んでいくものですが、これまでといま、そして、自分(僕)の知らない誰か(母さん)の過去に展開することで、僕が想像し得ない世界に、僕を連れて行ってくれました。

ひとには知り合い、見たい世界と、できることなら知りたくない、見たくない世界があり、「ぼく」にとって、知らせざる「母さん」が生まれ育ち、文化大革命によって目の当たりにしてきた世界、生きるために学ぶことも考えることも許されなかった過去。

そして、孤独のなかで見つけた希望と、手元からすり抜けていく希望、我が子の成長。それに対する深い愛情とがゆえに苦しむ「母さん」の心境は、僕らの日常生活のなかでも、ここかしこで起こっていることなのではないかと思います。

わが子を喜ばせるため、誰かとつながるための手段として「母さん」が「ぼく」に教えたとばかり思っていた紙の折り紙は、「母さん」と「ぼく」を紙一重でつなぎ、「母さん」が唯一生前、死後の「ぼく」に託せるモノでした。

そんな大切なモノを手段と位置付けてしまって語ってみた僕にとって、自分の経験や見えている世界だけで物事や他者を判断することの危険性や愚かさを痛感させるきっかけになった一冊でした。

中国・香港・アメリカを舞台にしていることから、人間の多様性や生育の複雑性を想起させましたが、そこに本書の本質はなく、むしろ、深く思考すべきは「ひと」でした。

そして、「ひと」って何だろう。そんな解のない問いを東藤さんとゆっくり話したいです。

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