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【どフェミ考②】ゲ謎を5回観た話とLEGEND&BUTTERFLYが嫌いって話
あけましておめでとうございます。遅すぎる挨拶になりました。
1月からいっぱいいろんなことをしています。
ご挨拶もそこそこに、今日は去年から始めた、ど素人のフェミニズム考察してみます。
※以下、映画のネタバレを含みます。
ゲ謎が素晴らしすぎる
日本アカデミー賞のアニメーション優秀作品賞受賞した、「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」。
受賞されるべくして受賞されたと感じる。だって本当に素晴らしい。
うわー。
うわあ。
うわあああ。
すごいなああああ。
みんなタバコ吸ってるよ。会社の中で。電車で。
会社に女の子がいない。いてもお茶汲みの女性か、コピー係か。デスクに座ってる女性がいない。デスクを与えられているのは全員、男性。
家父長制で我儘し放題の男。
その我儘を権利と富の象徴と信じて疑わない男たち。
それを手に入れるのが「男」だという錆びた常識。
男の欲に巻き込まれる女の子。
諦め、寄生して生き抜くことを決めた女性。
家父長制に従い、地位を築く女性。
東京に自由を夢見る女の子。
彼女は自分を虐げる閉鎖的な村から、自由社会に羽ばたかせてくれる誰かを望んでいる。
自分を自分として見てくれない人々を殺し回る。
自分だって、東京に連れて行ってくれるなら誰でも良かったのに、彼女はそれに気づかない。
これは私の想像だけれど。
彼女は悲しい。とても悲しい。体も心も自分だけのものにできないんだから。
だから彼女はやり返すしかない。体の自由を奪い、殺し、呪うしかやり方をしらない。
だって彼女はそれしか知らない。みんなが自分にやってきたことだから。
だったら、やり返したって構わないでしょ?
否定されるべき歴史が、ちゃんと描かれている。
女性だって、「ここにいたよ」って叫んでる
時ちゃんが「ここにいたよ」って泣き叫んだラスト。
映画の中では将来を大人に食われた子どもの悲痛な叫びとして描かれていたけど、女性たちの叫びにも通ずるような気がする。
男性と女性で区別されるべき場面がある。それはそう。
体格が違う。力が違う。からだの機能が違う。それらは、生まれ持った超えられない壁になる。それはそう。
だけどそれ以外では、男も女もどっちも人間だ。
東京医科大学が入学試験で、女性受験者の得点だけ一律で減点していた事件。2022年に受験生の原告側に勝訴判決が出ていた。
たとえば70点で合格できるところを、女性は90点じゃないと合格できないとか。
男は70点で大学の「人間」になれるけど、女は90点じゃないと大学の「人間」になれなかった。
なんでそうなっちゃうんだろう?
なんでそれがおかしいって思う人がいなかったんだろう。
女より男が欲しかったとか。
女は産休育休を取ってしまうからとか。
女は男より能力が劣るからとか。
そんな穿った見方をするから女性が人間になれないんだと、なんで気づかないんだ。
そうやって消し去られた女性が、どれだけいるんだろう。
そういう女性たちだって、ちゃんと社会で生きていた。
強い濃姫…?
ゲ謎の対極にあるのがLEGEND&BUTTERFLYだと思っている。
濃姫の男らしさたるや。強い女性は嫌いじゃない。嫌いじゃないけど。
歴史上名だたる戦を勝ち進んでいった織田信長の、日陰となって支えていた濃姫。彼女は信長が戦術に行き詰まると、知識と才能を駆使して進言する。流産した直後にデリカシーのない言葉を受けても彼を愛し、成り上がりノンデリの道を突き進む彼を初心の頃と同じように彼を愛する。濃姫が信長を影から引っ張って、桶狭間の戦いも勝たせたし、足利氏と共に京に上ったし、天下へと昇りつめていった…。
そんなわけない。
濃姫は、現代女性の憧れである自由意志を持った女性だった。でも濃姫は現代女性じゃない。
強い女性は嫌いじゃない。でも、描かれていたのは「現代女性が求める女性像」で、強い女性じゃなかった。
濃姫を描くにしても、信長には信長の、濃姫には濃姫の、時代に合ったタレント性があったはず。それは全く違う意味、性質のもの。
だというのに、濃姫には信長に似たタレント性があったとしてしまうのは、戦国時代というひとつの歴史をまったく無視することになっていないか。
男性が「現代女性が求めているもの」を語るな、考えるな、と言っているのではない。
語ってほしいし考えてほしいのだけれど、都合良く史実を捻じ曲げることまで求めていない。
男性が女性のことを蔑ろにしてきた歴史は確かに存在して、その中で女性はもがき続けてきた。
そういったすべての歴史が無かったかのように主張することは、臭いものに蓋をしているみたいに感じる。
大体、臭さを学ばなければ良い匂いがどんなものかわからないじゃないか。
「昔も今も、みんな仲良く幸せに暮らしました。それが当然なのです」っていう顔なんて、しないでほしい。