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般若心経を心臓の鼓動で唱える。

全ては無というが心臓の鼓動はそれでも逞しくドクドクと生命を刻み続ける 鼓動の音、それそのものが無なのかもしれないが、私には”ある”と実感を刻んでいると感じるのだから仕方がない。
音も形も全てはバーチャルリアリティーなのだと般若心経は解く。
遠く及ばぬ私だが、無を悟る虚無感よりドクドクと生きようとする太鼓の躍動感の方がありがたく思う舎利子でしかないことにむしろ安堵さえする。
とりあえず今は、わからぬことはわからぬとするのがよかろう。
知ったかぶりは自分を蝕むだけだ。
己が感じ取ったことに正直でいようと思う。

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