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女が生きるとき、避けては通れない川上未映子「夏物語」

※こちらは、キャリアスクールに提出したものを微修正したものなので、言葉遣いが他の記事と違います。
※ネタバレ含みます。

川上未映子さんの「夏物語」は、世代に関係なくすべての女性の心に残る作品だ。

主人公の夏子がパートナーなしの出産を望みつつも子どもを生むことの身勝手さに悩むという話が物語の主軸であり、なかなか考えさせられるのだが、登場する女性達が「生まれてきたこと」「生きること」「子どもを生むこと」に悩む姿も他人事とは思えない。人生の節目に、この物語を思い出して読み返したくなるだろう。



「生まれてきたこと」との向き合い方


「生まれてきたいと思って生まれてきたわけではない」という感情が芽生えたことはあるだろうか。この物語に出てくる主人公の姪・緑子は母・巻子が豊胸手術に取り憑かれていることを、自分が生まれてきたことが原因だと思い詰めていた。

とうとう緑子は巻子に本音をぶつけ、巻子の不器用な優しさを理解し自分の存在を肯定することができたようだった。

夏子が出会い惹かれていく逢沢はAID(非配偶者間精子提供)によって生まれ、父が死んだ後に血の繋がりがなかったことを知り、衝撃を受け病んでいた。夏子と話すうちに、生まれてきたことではなく、父に感謝を伝えることができなかったことを辛く思っていると気づき家族との関わりを見直した。

一方、AIDによって生まれ血の繋がりのない父親にひどい性的虐待を受けた逢沢の恋人・善は、「生まれてきたこと」「子どもを生むこと」を肯定することはなかった。夏子はその考え方を理解しつつもどうすることもできなかったが、彼女を抱きしめる気持ちで自分の子どもを抱きしめるつもりではないだろうか。

この作品には、生まれてきたことを肯定できず悩む登場人物が出てくるのだが、その存在を親が肯定していることに気づいたとき、自分の存在を確かとし前を向いている。このことは、自分に自信がなくなり居場所を見つけられなくなったときだけでなく、子育てをする上でも非常に重要なポイントだと感じた。

男性とどう関わって生きていくか


また、この物語には、男性とどう関わって生きていくか複数のスタンスが提示されている。

小説家仲間の遊佐はシングルマザーだが、男性と関わらないと決めているようだ。子どもを生んだことは素晴らしいことだと感じているが、男性とともに生活することは苦痛でしかないとのことだ。一方で、巻子は豊胸手術に取り憑かれたり元旦那に会いに行ったりと、男性との関わりに執着があるようだった。

元バイト仲間の紺野は、夫婦関係は冷めきっているのに経済的な不安から離婚することはせず、義理の両親と同居し労働力として生きていく選択をした。ギブアンドテイクと割り切っているようだが、彼女の疲れが言葉の節々に滲み出ていた。

夏子はといえば、セックスに嫌悪感があり、子どもが欲しいのに身動きできない状態になっていた。逢沢との子どもを作ると決めてからも、一人で育てる選択をした。

女性には男性という性が対をなして存在している。男性とどう関わっていくかは「生きること」を考える上で避けられない話題である。出てくる女性達の価値観はバラバラで、ガールズトークを圧縮したみたいだ。しかも、驚くほど誰の意見にも納得できるところがある。

「子どもを生むこと」は身勝手なこと?


そして夏子は、子どもを生むことの身勝手さにどう向き合い、生む決断をしたのか。これが非常に難しいテーマで興味深かった。自分が子どもを生むための器官を持っていることを忘れ子どもに会うことを諦めるよりも、子どもを生む間違いを選択するということだ。

夏子の決断には、子どもを持つ機会がなくあっという間に亡くなってしまった仙川の存在と逢沢から聞いた話の影響が大きいだろう。

仙川は夏子が素晴らしい小説を書くと信じる編集者だが、妊娠や出産に関わることがなくて本当に良かったと言っていた。子どもが欲しいなどと凡庸なことは言わずに小説を書きましょうと夏子を説得し、それから数ヶ月してあっけなく亡くなってしまったのだ。

人が死ぬと、自分が生きていることを強烈に意識する。このとき夏子は尚更子どもを生むことについて意識したのではないだろうか。

逢沢から聞いたのは、何十年も前に打ち上げられた宇宙探査機・ボイジャーの話だ。地球の音や文明の記録を積んで今も真っ暗な宇宙を飛び続けている。地球も人類も消え去ったとしても、その記録は思い出として生き続ける。子どもを生むということはボイジャーを打ち上げるようなものだと考えたのかもしれない。


一部勝手な解釈があると思うが、出産を経験し、家族とともに生きていく上でやりたい仕事は何なのか改めて模索しているタイミングで再読したことは幸運だった。何層もの女性たちの価値観に触れることができ、なんとなく焦っていたり疑問に思っていたものがクリアになった。

「夏物語」は恐ろしい本だ。「生」という人間が課されたものに、人間なりの回答を突きつけている。いかに科学が進歩し世の中が変わっても、このテーマは普遍で、すべての女性の心に刺さる作品ではないだろうか。


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久保みのり
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