賭博と色眼鏡
賭博と色眼鏡
片宮もずく
恋は駆け引きなんて誰が言ったんだろう。
駆けて引いた分、
その分離れてしまうのではなかろうか。
「駆け引き」をしてどちらに転ぶかなんて
賭け事なのだから誰も予測もつかないだろう。恋の駆け引きが出来るのは愛されている自信の
ある人だけ。
駆けて引くことに賭けることが出来るのは
勝ちが見えているから。
私はルーレットの落ち場所を当てられない、
はたまたその既に廻ってしまっている
ルーレットに一体どれだけの価値が
かかっているのかすら知り得ない。
知りたくても、知ることが出来ない。
そういう事に自分で仮定したのだ。
私は他人よりも真実を見抜く力があると
勝手に過信している。
真実はいつだって私の願いを
聞いてはくれない。
あくまで見えるだけだからだ。
確かにこれ迄に真実を見抜けて得をした事
だってあったし、今でも有難いことはある。
それでも統計してみれば失ったものの方が
多数のように私は感じる。
あくまで主観。
真実が見えてしまったからこそ、
その先に起きる結末が見たくないものであれば
最終的にそこに行き着いて仕舞うことを
知って居ながら無駄な遠回りをしてしまう。
見えない、
真実が視えない色眼鏡をかけて過ごすことが
気づけば癖になっていた。
その結果がこれだ。
このざまだ。
嫌味な言い方をすれば終末期患者に対する
ただの延命治療だ。
結末が見えた状態で現状をどれくらい
継続出来るかの様な。
私は小学校の高学年になったくらいには
家族の結末が分かっていたといっても
過言ではない。
分かっていながら辛い延命治療を施したのは
紛れもない、
私なのだ。
自分のため、
知らぬ誰かのために私は眼鏡を替える。
真実を隠す眼鏡から、
見えすぎずそれでいて
自分に正直でいられる眼鏡に。
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