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自己紹介(はじめてのnote)

はじめまして。大阪と東京を行き来する「コト」づくりプロデューサー・コトクリ(仮)と申します。私自身の考えをまとめたり、自分は何者であるかを整理するために、少しずつメモ的に綴りたいと思っています。

キャリアとしては、2社経験し、ソリューション営業を10年、その後1つの事業開発を実質的には15年している感じでしょうか。Webやシステムのディレクションに常に絡んでいたり、社内のDXに取り組んだり、自社のマーケティングをPJで回したりしながら、ここまでやってきました。

性格的には「新しいモノ」が好きで、イノベーターとかではないですが、どちらかといえばアーリーアダプター。本当にこれから必要!と思ったときには、持ち前の行動力で周囲をグイっと巻き込んでいきます。決して自分達の利益だけを優先せずに、本質的に求められることをど直球で解決していくタイプだと思います。

過去に一度、取材をしていただいたことがあり、その時の記事をリンクしておきます。

ソリューション営業での経験

上記記事にも書いていただいておりますが、理系人間だった私はSE(システムエンジニア)志望で会社員人生をはじめたつもりでした。ただ、よくある話で大学でしっかり勉強していたタイプでもなく、その実力の無さはすぐに見透かされ「営業」への配属となりました。

にわかSEの営業マンとなった私ですが、社会人になった1997年はちょうど会社に "2人に1台" PCが配置されているような頃でした。当然ながらPCに弱いお客様もいて、その使い方を教えるだけでも重宝されたものでした。私自身も(自分でいうのも何ですが)社会人になった頃は、とにかく実戦しながら猛勉強をしており、Officeの使い方だけでなく、Excelやデータベースの知識、そしてさらにはWeb制作やサーバーの知識なんかも身に付けていきました。WindowsとMac、両刀使いでもありました。

その頃に起きていたことは、とにかく何でも「相談を受ける」ことでいろんな人に知ってもらい、かわいがってもらえた時代でした。それが私の営業スタイルでした。逆に、値段やスペックで、ガンガン攻めるような営業はしないし、できないし、興味もありません。「相談を受ける」→「何か解決案を出す」ので、完全に提案型営業であったことと、解決案を出すにあたり「市場や世間一般はどうか?」といったマーケティングの知識も徐々に視野に入れていくことになります。

ちなみに10年を期にして、私は一度転職を経験しております。転職先だったコンサルティング会社では、Webやシステムのディレクションを中心に仕事しましたが、過去にソリューション営業で培った能力と、学びたかったマーケティング知識の吸収ができた時期で、いい意味で人生の転機となった瞬間でした。

事業開発での経験

当初は「事業開発」なんて言い方はしていませんでしたが、実質的にやっていたこととして、新しい機械を使って新しいビジネスを作るといった内容でした。機械でできることを研究し、機械にとって最適なビジネスを作り出してきたので、とんでもなく楽しい瞬間を何度も味わいました。

結果的にやっていたこととして、1つは新しい機械を使って、新しい価値のあるプロダクトを開発することでした。新しい価値を求めていたので、従来品との比較、さらには海外で既に展開されていたものを日本に取り入れるといったことをしていました。ここで、新しい価値にするために、基本的にはモノとデジタルの関係性とか、デジタル社会の中のモノとしてとか、価値を創造するにあたり、常に「デジタル」とは切っても切れない関係ではありました。

もう1つやっていたことは、販路の開拓でした。新しいビジネスは、従来と同じ販路ではない場合がほとんどでした。B2BなのかB2Cなのか、リアルなのかECなのか、どちらも後者は企業としてほとんど実績がなかったため、売上の結果を出すのに本当に苦労しました。それこそ従来ビジネスと比較して初期は1%にも満たなかったので、少数派として取り組んていた時期は周囲からの理解も得られずキツかったというのが本音です。まあ、最終的には20%近くまでビジネスとしては進化させることができました。

冒頭にも書きましたが、私はイノベーター向きではないので、0→1よりは、1→10が得意なほうだと思います。何らかのキッカケで新しい価値を発見し、これをどのようにして周囲に知ってもらうか。具体的なビジネスモデルをつくることで、どうハッピーになってもらえるか。間をつなぎ、発展させ、そのためには労を惜しまないタイプかもしれません。

ブチ当たった大きな課題と、これからすべき事

上記のようなお仕事を25年以上やってきましたが、コロナがやってきて、その時に大きな課題を感じたことは今も忘れません。私のような仕事の仕方だと、常に「デジタル」とか「IT」とかが関係してくるので、パートナーとして関わるのは殆ど東京に身を置く人達ばかりでした。

私は生まれも育ちも大阪で、社会人3年目あたりから何かしらすべき事があれば東京に出張する機会がありました。先程「労を惜しまない」と書きましたが、性格的に「思ったことは必ずやり遂げる」タイプなので、結果として毎週大阪と東京を往復していたり、気がつけば東京にマンション借りて二拠点生活することにもなってしまっていました。

何が課題かというと、ビジネス上の関係者は殆ど東京にいます。しかしながら、家庭の事情などで私は大阪からは離れられませんし、本社機能も大阪です。大阪と東京とを往復してばかりなのが非効率と感じたことと、あとは既成概念からくる生みの苦しみとも感じました。私が出した1つの結論として、コロナ中に強く感じたのは中小企業としてブランディングができていないというものでした(いまは詳細は書きませんが、忘れもしない2021年5月14日のことです 笑)。

きっとブランディングができていれば、ここまで大変な思いもしなかったと感じています。行くべきときに東京出張し、すべきことは大阪で対応したいのですが、個人的にはその本来すべき事ができていない(あるいはできない)と思いました。そのためには、組織的な行動が一軸にまとまっていないといけませんし、ブランディングに対して社員全員が本質的なことを勉強し理解しないといけないと強く感じたのです。


これからすべき事の詳細は、今後回を重ねて書いていきますが、この課題の根本は、大阪とか地方それぞれの課題なのかもしれません。商業規模で見れば東京よりは全然小さいので、小さいなりにもアフターコロナは何を強みとして企業活動するか、その本質が問われる時代に突入したと感じています。その根本の解決策として、やはり企業や製品、あるいは地域のブランディング力が求められるのではないかと思っております。


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