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未来のための「コト」づくりについて考える
今週は大阪に一週間いて「やはり大阪と東京のビジネスは違うなぁ・・・」と何度も実感してしまった、大阪と東京を行き来する「コト」づくりプロデューサー・コトクリ(仮)です。
前回、
について書かせていただきましたが、この「違うなぁ・・・」って何が違うのか?と冷静に見つめ直したとき、いろいろと不自然という結論に至っています。代表的な例としては、ニーズが当てはまらない人に、押しの強いアプローチ(要は営業)が入るあたりとか、アナログメディアを取り扱う企業が「アナログの逆襲」(映画や本ではない)などと掲げてまるで "vs. デジタル" のような二項対立を煽るような訴求をしていたり・・・。
これも以前、
で書きましたが、どうしても企業活動となると「集める」しか無いのかな?と思っており、この理想と現実みたいなもののギャップを感じて居たたまれない気持ちでいっぱいでした・・・。
「機能的価値」と「情緒的価値」
この言葉の意味や違いについては、さまざまな人によって書かれているので、記事をピックアップしながら整理していきます。
ざっくり言えば、「機能的価値」は製品(モノ)やサービスの機能そのものや品質を指し、「情緒的価値」は製品(モノ)やサービスを使うことによってどんな情緒的な体験が得られるかになります。
私は長年、モノづくりを軸にビジネスをしてきた人間なので、ずっと「機能的価値」に寄った思考でした。しかし、作るモノに対して、実際にどのように使われて、どのように価値が出せているのか、当然ながらずっと気にしながらビジネスをしております。
正直「情緒的価値」の実際の例を、すぐに色々と挙げることはできません。その思考が無いからです。そんな自分が、この"問い"に対してどのように答えられるようになるかを想像しながら、続きを書きます 笑。
「モノ」の価値と「コト」の価値
こういう議論も、きっといろいろと記事があるだろうと思い、探してみました。
この記事でも触れられていますが、一時期よく、「モノ」から「コト」への転換について言われたことがあります。個人的には、転換という表現は正しくないと思っています。今になって冷静に考えると当たり前かもしれませんが、製造業でこの事を強く押し出して議論すると、必ずと言っていいほど組織的なコンフリクトが起きます。私自身も、実体験者です。決して「モノ」づくりを否定している訳ではありません。でも、そんな感情を抱く人が、かなり多くいることも知っています。
「モノ」の価値においては、まさに「機能的価値」であり、しっかり機能を果たし、安定した品質・スペックどおりのモノが提供されてこそが価値なのです。雑な言い方をすれば、壊れずにちゃんと使えて、本来はそれで当然なのです。
一方、「コト」の価値においては、「モノ」である製品・サービスありきで「情緒的価値」が得られますが、こちらは実際の例をいくつか列挙してみます。
「ドリル」を買う人が欲しいのは「穴」である。
「車」を買う人が必要なのは「移動手段の1つ」である。(別の価値を欲しがる人もいますが・・・)
「楽器」を買う人が求めるのは、演奏の「技術(能力)」とか「場」とか「人とのコミュニケーション」そのものとか。
「スタバ」はコーヒーを飲む人に、自宅でも職場でもない「サードプレイス(第3の場所)」を提供している。
「吉野屋」は牛丼を提供しているが、「早い・安い・うまい」といったこれまでに無かったサービスレベルが価値である。
達成したい目的であったり、その目的の代替手段であったり。モノや行為だけではなく、これまで以上のサービスレベルを提供していたり。
いずれにも見られるのは、何らかの課題です。そして、その課題解決のための新たな価値を提案(提供)しています。このような考え方のフレームワークについて触れている方もいらっしゃいました。
そういえば「コト」づくりならぬ「コト消費」というキーワードなどもありますが、私がいう「コト」づくりとは少し視点が違います。そのあたりを最後に整理します。
「○○消費」とは違う「コト」づくりの本質
「コト消費」は、精神的な満足感が得られるような消費のこと。「コト消費」に限らず、他にも「○○消費」について調べてみました。
「トキ消費(時・場所を自身で体験したい、楽しみたい)」とか「イミ消費(どうあるべきか?という意味【例:社会課題、環境保全】を満たすためのもの)」とか「エモ消費(エモいものに対する「コト消費」のZ世代版?)」とか・・・。他にも「推し(ヒト)消費」とかもありますね。
「○○消費」は、いわゆる「体験」や「行為」そのものにフォーカスされていますが、「コト」づくりはあくまで「モノ」が正しく使われて不自然なく「コト」の価値を提供するものだと考えています。
よって私が思う「コト」づくりには、必ずどこかに「モノ」づくりが絡んでいます。そしてその「コト」は、「モノ」によって新たな感動や体験が得られるようなものなのかな、と。ただ、おそらくありきたりな「モノ」ではありません。何のための、何を実現するための、何を得てもらうための「モノ」なのか、その意味が必要です。
未来のための「コト」づくりは、付加価値のある「モノ」によって実現されると思っています。順序はあくまで【(例えば、時代の変化によって起きている)課題】→解決するための「コト」づくり→その解決に必要な「モノ」づくり→【新しい体験】でしょう。このように考えることで、これから本当に必要とされる「モノ」づくりも見えてくるかもしれません。