見出し画像

「解雇」とは、感情抜きの慎重なプロセスを踏まえた苦渋の決断である

■ 退職理由は様々


介護サービス事業の運営として人事に携わってきた中で、色々な人たちと面接し、入社していただき、仕事を通じて言葉を交わし、そして退職していく姿を見届けてきた。

退職するときの理由は様々だ。家庭の事情や年齢による体力や理解力の衰えといったやむを得ないこともあれば、職場の不満や人間関係の悩みが積もり位に積もって耐え切れなくなったということもあろう。

もちろん、前向きな理由もある。仕事を通じて新しい分野に興味をもって転職したり、これまで培ったスキルを活かして独立することもある。これらは挑戦という言葉では言い尽くせない思い切った決断であろう。

そして、ここでもう1つ退職に至る理由として「解雇」が挙げられる。

――― 解雇、つまりクビである。


■ 解雇は簡単にできない


漫画などでは「クビだー!」と言われた次のコマで、無職になった登場人物がため息をついている姿が出てくるが、当然であるが実際にはこんなに簡単に事は進まない。

解雇するには、それなりの理由が必要である。
いや、それなりでは駄目かもしれない。

いくら職場内で「あの人はクビになってもおかしくない」と思っていたとしても、職場を一歩外に出て事情を知らない人たちが話を聞いたら「それは不当解雇じゃないか?」となる可能性もある。

それは解雇に限った話ではなく、1人の人間を労働者として雇用するということは社会的な視点や法律的な観点が介入するからだ。

もちろん、最終的には雇用主の判断に委ねられるが、職場の規定、労働基準法などの法律、職業安定所、そして解雇を告げられた労働者・・・総合的な視点をもった対応が求められる。

こう言っては何だが、よほど問題のある労働者でない限りは、解雇するよりも現状維持や配置転換、雇用見直しなどしたほうが雇用主は楽なのだ。


■ 嫌いだから解雇するわけではない


それでも解雇という決断をせざるを得ない場面はある。

このような記事を書いている私も、介護職員に解雇を告げたことはある。

だからこそ言わせていただくと、何も嫌いだから解雇しているわけではないということは理解していただきたい。

むしろ、人間として魅力があり、時間はかかっても教育により成長する期待をもっていた職員に対して「今後も雇用を続けることはできない」とハッキリ告げるのだ。

経営者や管理者らも交え、時には職場の信用を損ねるリスクも踏まえて雇用を続けるかを慎重に協議したとはいえ、それを対面して解雇することを伝えることに決まると、メンタルの弱い私は特に、その日まで眠れない日々が続く。

しかし、事業や職場の将来、他職員の心情、利用者たる高齢者への配慮などを考えて、胃痛に耐えつつ解雇を伝えることになる。

解雇を伝える側は、好き嫌いといった一時の感情なんかでは済まされない苦渋の決断を抱えて、それを本人に伝えていることはご理解いただきたい。


■ 改善してもらう努力・改善する努力


解雇するということは、それまでの間に「何とかして解雇させないようにできないものか」と努力していることも伝えておく。

世の中には、本人の口から辞めると言わせるような業務を課したり、職場環境に配置するような職場もあるらしいが、よほどの人物像でない限りは指導や話し合いを重ねて、最低限の業務に従事してもらえる努力はする。
教育というものは画一的なものではないので、多数がすぐ理解できることでも理解できない人はいるし、失敗を注意しても次の瞬間に忘れてしまう人もいる。指導する側はイライラとストレスを溜めることも珍しくない。

一方、指導や教育を受ける側の姿勢も大切である。受け身になって教えてもらいっぱなし、怒られても平気なんて考えているようでは、それこそ解雇ルートまっしぐらだ。

過度にプレッシャーを感じる必要はないものの、仕事という顧客の期待に応えてお金をいただくという所作であるからには、それなりの実力を身につけなければいけないと覚悟しなければいけない。
それは、教育や指導を受け続けても改善する見込みがないならば、どんなにその職場や仕事が好きでも事業に利益をもたらさない、それどころか支障をきたす可能性がある者を残してもらえないという意味でもある。

そうならないよう、職場や雇用主は根気を持って指導をしていることを理解いただければ嬉しい。


■ 指導や面談記録は残しておく


とは言え、解雇される側の中には「ちゃんと教えてもらえなかった」「話を聞いてくれなかった」という反論をすることがある。

反論や不満は、解雇を告げる際に確実に出てくる。

だからこそ、私は解雇を告げたときはもちろん、指導内容、教育に類する面談などを行ったときには文書等の記録に残すようにしている。これらはフィードバックとして本人にも渡して、ときには本人に署名をもらったり、所感や自己評価なども書いてもらうこともある。

これは本人の自覚を促して成長につなげる意味もあるが、解雇となった場合の備えでもある。何だかキナ臭い話であるが、リスクヘッジとして記録は大きな予防線となる。

実際、解雇だけなく、本人の明らかな過失により退職となった場合でも、後ほどハローワークなどの機関を経由して「不当に解雇された」「しっかり働いていたのに辞めざるをえなかった」という主張を受けることがある。

このような場合、契約している労務士事務所を経由して、上記の指導内容や面談録などを提出して説明する。すると、大半の場合はピタリと収まる。

もちろん、解雇などの場合は労務士と相談を重ねていることもあるが、労働者側が指導録や議事録などを自ら残していることは少ないので、しかるべき形にしていると説得力を発揮する。

別にこちらが優勢になりたいわけでない。何なら、対面で指導や面談をするときには、ときには「レコーダーやスマホで録音してていいですよ」と伝えておく。それは正義は我にあり、と言いたい訳でなく双方のやり取りの証拠になるならば、議事録を書くより録音の方が効率的かつ正確だからだ。


■ 職場へのフォローも大切


解雇にあたっては職場へのフォローが大切である。

解雇という事態は普通であれば起こりえないため、雑談のネタにもなり話があらぬ方向に行くこともある。ときには連携している外部機関や他の職場にも間違った情報が流れることもある。

そのため、その職場から解雇した者が出た事実、その理由や背景をしっかり伝えることが大切なのだ。それで完全に鎮静化することはないが、ひとまず「納得できない部分もあるが、まぁそこまで言うなら・・・」くらいの雰囲気になれば十分だと思う。

そこから「自分も辞めます」と言われても仕方ないこともある。人間は機械ではないので、腑に落ちないことに正論を投げかけられても感情が先走ることはある。

解雇を告げた職員に対しても同様だが、解雇の理由や背景を理解してもらおうなんて思ってはいない。相互理解は不可能だという前提で話をする。

しかし、ちゃんと理解してくれる人もいる。それが1人でも入れば良しとするしかない。分かってもらえないと思って解雇後に放置するほうが、禍根を残して事態を悪化させる。ならば、1人の理解者を期待してでもフォローしたほうが良いのだ。


――― 本記事はあくまで人事、雇用主の視点のである。

それゆえ、解雇された方々や解雇に対して納得できない経験をお持ちの方々などは不愉快に思われたかもしれない。

上記でもお伝えしたが、解雇する側の心情を理解してほしいとは思っていない。単純に解雇するほうがリスクや面倒事があるということを承知で、解雇するという決断をしているというだけの話だ。

また、解雇した理由や背景として「解雇してまで何を守ろうとしていたのか」「解雇してまで避けたかったリスクは何なのか」というのは、こう言っては何だが一般職員には理解できないと思う。

だからこそ、解雇に至らないように、そして解雇に至ったとしても、しかるべきプロセスを踏んでいるということをご理解いただければ幸いである。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。





いいなと思ったら応援しよう!