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認知症の方でも「人のふり見て我がふり直せ」ができることがある
グループホーム(認知症対応型共同生活介護)という施設に住まう利用者を見ていると色々と面白い発見がある。
その1つに、認知症の方でも「人のふり見て我がふり直せ」ができることがあることだ。
予めお伝えしておくと、これはあくまで個人的な見解である。心理学や認知症の症状から深く探れば根拠はあるのかもしれないが、本記事ではそこまでは追求しないこととする。
帰宅願望の強いAさんという利用者がいた。認知症の諸症状が進行するにつれて施設の玄関に向かおうとしたり、他利用者やスタッフの靴でも気にせず履いて外に出ようとする。
Aさんは小柄なうえ、スタッフが声を掛ければ不満そうな顔をしつつも、施設内に入ってお話を聞けば精神的に落ち着く傾向がある。
Aさんのそんな行動と対応が当たり前の日々だった施設において、Bさんという新しい利用者が入居した。この方はしばらく落ち着いていたが、入居して月日が立つほどに、Aさんと同じような行動をとるようになった。
Bさんは小柄ではあるが一度玄関まで行ってしまうとその場を離れようとしない。聴力と言語理解力も低下しているため、スタッフの声掛けが一向に通用しない。筆談も通用しないし、外に出るという一点に集中すると他が見えなくなってしまう。
もはや、Aさんの対応よりもBさんの対応の割合がどんどん増えていった。
・・・と、あるときスタッフの1人が気が付いた。
「そういえば、Aさんは外に出ようとしなくなりましたね」
Bさんの対応に追われて気づかなかったが、確かに言われてみればAさんは玄関に行こうとしなくなった。そのため、スタッフもAさんが外に出る対応もほとんどなくなっていたのだ。
そこで思ったことは、Aさんがそのような傾向になったのは、Bさんが入所して外に出ようとするようになったということだ。そしてスタッフがBさんの対応に四苦八苦するようになった時期とかぶる。
これは仮説であるが、頑なに玄関から動かないBさんの行動やそれにスタッフが対応している光景をAさんは見て、「こうなっては駄目なんだ」「ああいう風に外に出ようとすると迷惑をかけるんだ」と学んだのではないか。
実際、Aさんは他人に迷惑をかけるということを極端に嫌う。そのため、たまに便失禁などの排泄介助を要する場面になると「他人様のお手を煩わせてしまった」とひどく落ち込む。
そのような性格からも「あの人(Bさん)のように外に出ようとすると、みんな(スタッフ)に迷惑をかけるのかも。それは良くないことだ」と思ったのかもしれない。
その結果として、スタッフがBさんの対応に四苦八苦しているうちに認知症の症状にも変化が起こり、外に出ようとしなくなったのではないか。
この例の他にも「人のふり見て我がふり直せ」に通じる認知症の変化は色々とある。
歩行が不安定なのに自分で歩こうとして転倒を繰り返していた方が、同じような状態と行動の方にスタッフが対応することが続いているうちに、その方に対して「一人で歩けないんだから、手伝ってもらいなさい」とたしなめるようになったケースもある。
失礼ながら心の中では「お前が言うな」と突っ込みを入れているわけだが、そのような言葉が出るようになってからはスタッフに立位や歩行を頼るようになった。これもまた変化と言える。
――― 人間とは自分のことが分かっているようで、分かっていない。それを他人の行動を介して「ああなってはいけない」と馬鹿にしつつも、心のどこかで「自分も気を付けよう」と思うのかもしれない。
そしてそれは認知症になっても同じなのだろう。
認知症は何も分からない・何もできないわけではなく、ちゃんと自分を律する部分は残っている。他人を見て学ぶことができるはずだ。
――― と、そんなことを密かに思いつつ、今日も施設に住まう方々を観察している。そこには認知症ケアにおける希望があるかもしれない。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。