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「支配的介護」は誰も幸せにならない

昨日は、介護者による利用者への「命令口調」の問題点をお伝えした。

介護者は、利用者たる高齢者のプライベートに足を踏み込む分、最初は慎重に関わりを持っていても、サービス提供を重ねて親しくなるにつれて、お互いの関係性が曖昧になっていく。

すると徐々に言葉遣いもラフになっていったり、相手が金銭を介している利用者であることを忘れて「介護をしてやっている」という勘違いも潜在的に生まれてしまう。

その1つの表れとして、命令口調になってしまうのだと思う。
しかし、介護者の利用者に対する命令口調は、早々に改善するべきである。
極端なことを言えば、今すぐ敬語を用いるくらいでなければいけない。

それは、利用者からの苦情になったり、場合によっては高齢者虐待といった社会問題に発展する可能性だってあるからだ。


■ 命令口調の根源は「支配的介護」


では、なぜ命令口調をしてしまう介護者が生まれてしまうのか?

その要因の1つは上記でお伝えしたとおり「介護をしてやっている」という介護者の勘違いである。いや、傲慢さと言っても良いかもしれない。

これは親の介護をされているといった場合は除くが、仕事で介護をしている場合は、利用者に「介護をしてやっている」という目線で接してはいけない。それは利用者からすれば「誰が金を払っていると思ってるんだ」と言われてもおかしくない話だ。お互いに押し付け合う不毛な関係である。

しかし、実際には介護サービスを受けている利用者の多くは、自分一人ではできないことがあるので、肉体や生活の一部あるいは全てを介護者に委ねることになる。
そのため、どんなに質の悪い介護サービスであっても、介護者に感謝を表明するのが生きる術と考えている人もいるだろう。

大変な仕事であるが、そのような感謝を真に受けて「この人は自分がいないと生きていけないのだ」という、カタルシスのような感情を抱くようになる。そこから次第に、利用者を「支配」しようとするフェーズに移行する。

この利用者への「支配」につながる感情こそが、命令口調のはじまりであると思う。

もしも、介護者がこの「支配」という扉を真に当たりにしていることに気づいたならば、その扉からは早々に離れることを推奨する。自分が支配の一歩手前にいるということを自覚することも大切だ。


■  自由も尊厳もない「支配的介護」


しかし、気づかぬうちに支配の扉を開いてしまう介護者はいる。

そこから生まれるのは「支配的介護」である。

この支配的介護は、介護施設でもよく見かける。あらかじめ言っておくが、介護者(施設職員)に悪気はないし、自覚がない場合が多い。
時間ごとに決められた業務を遂行しようとするがあまり、「もうすぐご飯だから早く食堂に来て!」とか「こっちは忙しいんだから、のんびりテレビなんて見てないでよ!」などと、利用者の行動を強制的に動かそうとする。

多忙に追われながら同じ利用者を同じ環境下で支援していると、いつの間にか利用者を支配している流れになるのは自然かもしれない。利用者もそれのような状況を諦めてしまうようになるかもしれない。

しかし、支配的介護には利用者の自由も尊厳もない。
私が高齢になって介護を受ける立場になったら、そんな支配は御免だ。


■  介護者自身もダメージを受ける


また、介護者も気づかないうちに支配的介護になっているとして、その介護者もまた、利用者を支配するような働き方で充実感を得られるのだろうか?

他者を支配する・コントロールすることは気持ちが良いかもしれない。
しかし、それはアルコールやニコチンのようなもので、一時的かつ依存性の強い陶酔感しか得られなくなる。

業務中は利用者を支配できるかもしれないが、一歩外に出たら「そこの人」になってしまう。利用者に対しては無敵感があっても、それは仕事の充実感ではない。ただの幻想である。

おそらく仕事に対して自分なりの意義や軸があったり、仕事以外で楽しみがある人はこのような状態にならないと思う。
利用者を支配することでしか自分の居場所がない人こそ、どんどん支配という麻薬に染まっていくのではないか。

しかし、この支配という麻薬が増えてしまうと、利用者に対しての口調も荒くなり、一見するとちゃんと仕事をしているように見えても、本来の介護の目的からどんどん逸脱してしまう。

利用者を支配するような態度、利用者を命令口調になる・・・このような介護者が職場内で評価されたり尊敬されたり、利用者から好かれるということは決してないのは誰でも分かる。良いことなんて1つもない。


■  支配的介護からの抜け出すための1歩


支配的介護に思い当たる節があれば、取り返しのつかないうちにこの悪循環から迅速に抜け出さなくてはならない。

だからと言って、自分がやっていることに気づく人は少ないし、それを指摘したところで反発されることは目に見えている。そもそも、人間というのは「●●しては駄目」「✕✕するよう改善せよ」と言われるほどに反発する性質がある。

また、改善しようとしても、本人が生活環境や態度すべてを変えるほどの強い意志がない限りは困難であろう。それは上記の例えで述べたように、支配というのは酒やタバコ、麻薬のような強い中毒性があるからだ。支配的介護をしている自覚がなくても、潜在的に利用者への支配を続けてしまう。

しかし、どうしようもないわけではない。
中毒性のある支配を意思だけで何とかはできないが、行動そのものを変えることはできる。

そのための第一歩としては、やはり言葉遣いが重要になると思う。
日本には言霊という言葉がある。それは自分自身の意思も変える。

言葉遣いを丁寧にする
自分が発する言葉1つ1つをなるべく精査する
冗談でも相手を傷つける言葉を発しない

このような取り組みしていると、次第に利用者および周囲を尊重できるようになる。尊重できるようになると、次第に他者を支配しようとする意識は薄れていく。


――― 何だか抽象的な問題提起と解決策になっていない考えで申し訳ない。しかし、介護需要が増えるにつれて、支配的介護は増えていく懸念がある。
だからこそ、せめて現在介護に従事している方々が、支配という扉を開かずに済むように願って記事にした次第だ。何かの気づきになれば幸いである。

ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。

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