
「介護人材を何とか確保しよう」とするのはもはや現実的ではない。だから、非現実的な解決策を検討(妄想)する
「介護の担い手不足」というのは誰もが知っている話であるが、この問題を根本的に解決することは現状では不可能だと思っている。
それは介護事業を運営している立場からの、現実を見ての感想である。
介護人材における問題はずっと前から出ている話であるが、その解決の糸口すら見えていない。
そもそも、高齢化社会という問題に対して「介護人材を何とかして確保しよう」「介護の担い手を増やしましょう」という発想を見直したほうが良いのではないかと思う。
「不足しているものは増やせばいい」「何かを見直せば物事はすぐ改善する」という発想をしていると、賃金改善とか生産性の向上という論点がズレた話ばかりがクローズアップされてしまう。
実際、介護職員処遇改善加算といった賃金改善を国は負担しているが、大きな有効性は見られない。また、生産性の向上の話をしても「介護における生産性って何だろう?」という話になっている。
また、誰もが分かりきっていることを改めて言えば、人口そのものが減っているのに、そのうちの高齢者の割合が増えているという事実がある。
人口という母数が減っているのに働き手を増やそうという矛盾した考えをしている。もはや現実逃避である。
だからこそ、高齢化社会における介護人材の不足という問題においては「介護人材を確保しよう」という解決策を追求することを、一度手を止めてみたほうが良いと思うのだ。
このように書くと「高齢者を放っておけばいいのか?」という反論があることは想定される。
予めお伝えしておくと、別に介護を要する高齢者を放っておけばいいと思っているわけでもない。そんなことを考えているようならば、そもそも介護事業なんてやっていない。
しかし、介護を要する高齢者人口はどんどん増えていくことは明らかだ。
そこで発想を変えてみる。
介護を要する高齢者が増えているから介護人材が足りないと言うならば、
「介護を要する高齢者を減らせばいい」というのはどうか?
これは「社会のために高齢者が死ねばいい」という短絡的な主張ではない。
「高齢でありながらも介護を必要としない肉体を目指す」という考え方だ。
自分でも何言っているのだろうと思うが、介護人材が確保できない現状においては、元を断つという発想が建設的だと思う。
――― では、具体的にどうすれば良いのだろう?
まず1つは「予防」という考え方だ。これはすでに医療福祉の分野において広く取り組みがなされている。
基本的には食事や運動といった健康管理であり、医療や理学療法といった専門家の支援をもって、介護を要する状態を軽減する。
これは王道かつ人間として自然な取り組みであると言える。
まずは予防の観点から介護レベルを軽減させることが大切であると、ご理解ただければ幸いである。
さて、以降は妄想レベルの話と思っていただきたい。
次に考えられることは「支援が制限された環境にする」ということだ。
これは誰の手も借りずに生きるという意味ではない。他社や社会の手を支援を受けることは変わらないが、現代のように「支援しすぎ」の状態に制限をかけるのだ。
――― 身の周りを見渡すと「困ったら支援してもらって当たり前」のような社会になっている。(一部の地域を除いて)病院だってアクセスしやすく、経済的に困窮したら生活保護という制度だってある。
現代のような至れり尽くせりな社会において、いわば”生きる力”が低下してしまうのは仕方ないと言える。だからこそ、そのような環境を制限することにより「自分で何とかせねば」という意識をもつことが重要と言えまいか。
実際、病院のアクセスが悪い地域においては、高齢者が健康であるという報告もある。それは病気や怪我をしたら、わざわざ時間と手間暇をかけて遠い病院にいかなければいけないため、なるべく健康でいようという強い意識が潜在的にあるという考察がある。
これは極端な例かもしれないが、あながち間違いでもないと思う。支援は支援で必要だとしても、まずは支援を当たり前として生きる意欲を低下する現状を制限することもありかもしれない、くらいに思っていただきたい。
最後は「人体改造」である。
要は、人工的に介護を必要としない肉体にするという発想だ。
・・・何と言うか、我ながら何を言っているのだと思っているが、それでも考えを伝えたいと思う。
色々と思いを巡らしてみたが、まぁ漫画的な発想と思っていただければ差し支えない。とは言え、不思議な力で人間の潜在的な力を引き出すとかいう話ではなく、可能な限り現実的な範囲である。
例えば、法的かつ健康に害のない範囲で薬物によって筋力や神経を強化するという方法が挙げられる。また、肉体の劣えた箇所を機械で補填するということだって既に可能となっている。
何だからサイボーグみたいな話であるが、まぁ、あながち間違ってもいないと思う。
というのも、地球の環境がが現状よりひどくなったとき、私たちはこの星で生きられないかもしれない。そうなったとき地球と同じ環境の星を探すのは大変なことである。
それよりも、移住(移動)可能な星を見つけたときに、その星の環境を変えることは不可能なので、人間がその星に適合する肉体になるという発想も必要になってくると思う。それこそが人体改造という話である。
このような考えを介護人材の不足という現実問題に照らし合わせると、人手がいないのならば、人体改造しても介護を要しない肉体にすることも視野に入れても良いのではないか、という話だ。
まぁ、呆れた話だと思うのは重々承知だが、もしかしたら将来的にはこのような呆れた発想も必要になるかもしれない。
――― 何だかよく分からない話になったことをお詫びする。
それでもこのような妄想じみた記事を書くのは楽しい。スッキリする。
あくまで自己満足的な内容なので、本記事のことをあまり真に受けないでいただければ助かる。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。