偏る本棚も、いいじゃん。
大学生になってから、本を読むのが億劫になってしまった。
大学受験に追われていた高校三年生、毎日の通学電車で読んでいた本を、英語の単語帳に変えた。本を読む時間があるなら現代文の問題を解いた。こんな習慣は1年以上続いた。
大学に合格して、いざ読書を再開しようと思っても、以前のようにすらすら読めなくなってしまっていた。ページを捲るスピードが明らかに落ちていることに気づかざるを得なかったし、それがかなり辛かった。
入学してしばらくして、大学にも慣れてくると、周りが文庫よりも実用書を読んでいることに気づいた。なんだかそれが格好良く見えて、背伸びして私も実用書ばかり読もうとした。したけど、読めなかった。
自分に必要そうな実用書を選んでも、それが本当に必要だと実感していない分野のものは、どうしても頭に入らなかった。どんどん本を読むスピードが遅くなっていた。面白いと思えない本を読んで、自分の読めなさにがっかりして、本を読むことから逃げていた。
先日、「自分がこれまでに読んだ本で最も印象に残った本を読み直し、それについて原稿を書いてください」という課題を渡された。
この課題を受け取った時、私が選んだ本は重松清の『きみの友だち』。迷うことなく、一瞬で決まった。なぜなら、この本は私が初めて読んだ、「青い鳥文庫」シリーズ以外の文庫本だったから。初めて読んだ子供向けじゃない本なのだ。
思い入れだけじゃない。その内容も大好きで、多分5回くらいは読み返していた。それでも、気づいたら多分、もう5年ほど読んでなかった。
課題を期限までに終わらせるために、『きみの友だち』を読んだ。課題だから早く読み終わらなきゃ、と思っていたけれど、そんなことは関係なく、どんどん本の世界に没頭した。
久しぶりに、「本を読んでいたら朝が来てしまった」なんてことが起きた。
字数なんて何も考えずに書いた原稿は、1500字でも収まらなさそうだった。1000文字くらいかいたところで、期限もあるので800字に収まるように考え直して、書き直した。それが、これだ。
言葉が溢れて止まらなかった。考えることがたくさんあって、もっともっと、重松清の言葉に触れたいと思った。
実用書では得られない、このよろこびが好きで好きでたまらないなぁ、と改めて思った。
やっぱり、私は本を読むのが好きだ。
けれど、たぶん、好きな本じゃないと進まない。好き嫌いはよくないと知りつつも、私は今日も本屋でポパイと西加奈子の小説を買った。偏りがすごい私の本棚は、これからもきっとどんどん偏っていく。まぁ、それでもいいじゃん。本屋さんみたいな本棚は私には似合わない。偏っていかなきゃ。
好きな本を読み返すって、きっと原点回帰。背伸びしなくていいじゃん、って、『きみの友だち』がまた教えてくれた。
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