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なにもしない、って。

なにもしないを
何かすることで実現しようとしちゃうんです。


ただただなにもしないだけなんですが、
ついつい、今までやっていたこととは
反対のことをすることで、
やっていない感を得ようとしたり、
なにもしないぞっ、と
ガチガチに固めてしまったり、
何にも起こっていないんだあ、と
起こっていることを無視したり、
なにか「する」ことで、
なにもしないをしようとしてしまいがちです。

別の何かをしようとするときに、
私たちは今までとは違う何かを
「する」ことで実現しようとしてしまいます。

本当にこの考えは芯の芯まで
底の底まで染み付いているので、
なかなかやめることができません。


わたしが言う「なにもしない」は、
今までやっていた、
もしかするとこれからまた
やってしまうかもしれないことを
やってしまったとしても、
あ、またやってるな、と
なにも反応しないことだったり、
今までやっていたことを
同じようにしたいという欲望は
そのまま持ちながら、でも
そのことにはなにも反応せず、
あ、またやりたいんだな、と
なにも反応しない、という意味です。


文字に起こすと
本当にわかりにくくなってしまうんですが、
体験すると、すぐにわかります。

まあ、できないんですよ、
なにもしない、って。

なにかしら、反応したいんです。

筋肉的に緊張していたものを
緩められたとして、緩めたまま
別の何かをする、としようとしたとき
できないんですよ。
すぐに今まで通りの緊張具合に戻ってしまいます。


ついつい反応してしまったことにも
反応しない、んですよ。

わたしはよく、
やっちゃったものはどうしようもないんだから、と
ずっと言われてました。

やっちゃったことを
どうこうしようにもなにもできないんです。

やっちゃったことに反応したところで、
なにも変わらない、どころか、
なにもしない、ができていないだけ、ということに。

合わせ鏡がずーっと奥まで続いていくように
反応がずーっと続いてしまうんですよね。

スパッと潔く、
なにもしないことで断ち切ること。


ま、言うは易し。

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ほりうちけーアレクサンダーテクニーク教師
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