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人はなぜ学ぶのか、学ぶ必要があるのか

多忙にかまけて読書量も減りつつある昨今。
久しぶりに職場を離れてとある研修を受ける機会をいただいて、ふと考えました。人はなぜ学ぶのか、学ぶ必要があるのかと。

結論から申し上げると「自分の頭で考え、生き抜いていくため」なんでしょうね。言いたいことは以上なのであとは駄文です。


学び方を学ぶ

管理職になってからというもの、やはり社内研修などに参加する機会は激減しましてね。誰かに命令されて強制的に何かを学ばされる、ということはほとんどなくなりました。自分で何か学ぼうと思わないかぎり、手癖の範囲で仕事をやっつけ、大きな変化のない日々が続くのでしょう。
あなたの周りにもいたことあるでしょ?そういう上司

そんななかで東北支社に赴任し、直近では(弊社における東北復興支援の系譜に名を連ねるものとして)防災士の資格取得研修に参加する機会をいただきました。
※とても実のあるカリキュラムで、その内容だけで1本記事書けそうですが本題ではないので置いておきます

防災士教本の内容はA4版で400ページ弱。(本記事タイトル画像の一番右)
それを研修事前の予習期間含め2−3週間で頭に詰め込む必要があります。中〜高の教科書として考えれば1年かけて学ぶようなボリュームです。
今わたしの娘たちも定期試験や受験控えて必死に頑張ってますが、当時はツラいと思っていた勉強も、まだまだ浅いものだったことがよくわかります。

戦略コンサルタントが新規のプロジェクトにアサインされる時はまず初日までにその業界について10冊本を読んでおく、なんて言いますしね。大人になってから要求される学びはより一層の速度と質を要求される。
まさに「学び方」がわかっていないと学ぶこともできない。
子どもの頃に勉めて強いられた「勉強」とやらは、その後生きていくための学びの型を身につける作業だったのかなあと今では思えますね。

生存するために学ぶ

ここでちょっと、ChatGPTにも聞いてみたんです。

学ぶことは人間にとって重要な活動であり、その理由はいくつかあります。

生存と適応: 人は生まれてからさまざまな環境や社会に適応する必要があります。学ぶことで、周囲の状況に適応し、生存能力を高めることができます。
知識の拡充: 学ぶことは知識を増やす手段です。知識は個人の視野を広げ、さまざまな分野で理解力を向上させます。
問題解決と判断力の向上: 学ぶことで問題解決能力や判断力が向上します。新しい情報やアイディアを理解し、応用することで、日常の課題に対処できるようになります。
職業とキャリアの機会拡大: 教育と学習を通じて得たスキルや資格は、職業とキャリアの機会を拡大させます。良い教育を受けることで、より良い仕事に就く機会が増えます。
自己成長と自己理解: 学ぶことは自己成長と自己理解につながります。新しい経験や知識を通じて、自分自身を知り、発展させることができます。
社会への貢献: 教育と学習は社会への貢献に繋がります。教育を受けた人々が専門的な知識やスキルを持つことで、社会全体が進歩し、発展する助けになります。

総合的に見て、学ぶことは個人と社会の両方にとって成長と進化の基盤となる重要な要素です。

ChatGPT 3.5

奇しくも、一番上に来た解釈が私のイメージに最も近かった。
まさに生存と適応。生存能力を高めるために学ぶ、ということですね。
そういえば小さい頃、我が家では父より「明日、親が亡くなっても自分で生きていけるようになれ」とよく言われたものです。

幸いにして、日本に生きていて今日死ぬか生きるかということはない日々を過ごせていますが・・・ビジネスの世界ではそうもいきませんね。

私がよく職場で引用するような一般論でざっと思いつくだけでも。
正規分布/パレート分布/ロングテールやランチェスター戦略、ネットワーク外部性といった定量に関する考え方。
パーキンソンの法則やピーターの法則、ハンロンの剃刀といった定性/人の性(さが)に関する考え方。
ポーターの競争戦略やBCGのPPM(プロダクトポートフォリオマネジメント)、イノベーションのジレンマといったメジャーな戦略論・・・

まあ色々学んでおいて損はない。すでに先人がぶち当たって試行錯誤した理屈を活用しない手はないのです。リソースは有限なので。
ビジネス生存のためにも「車輪の再発明をしない」「巨人の肩の上に立つ」とても重要ですね。

信じることを貫くために学ぶ

唐突ですが昨日は私の結婚記念日でした。
2003年11月22日は「いい夫婦の日」ということで式場予約も人気の日でしたが、1週間後の11月29日「いい肉の日」は仏滅で人気もなく、また費用も安いということでそちらに決めました。特に不吉なこともなく20年を過ごせましたね。

厄年の類でお祓いなど一度も受けたことありませんが健康です。
※そもそも何歳が厄年なのかよくわかってません。数え年?

受験で合格祈願なども自発的に行ったことがありません。そもそもそんな大切な時期に人混みに行って、風邪でも伝染されたらリスクリターンが見合わないと考えるタイプです。

プラシーボとしての信仰心や験担ぎの効用を否定するものではないですが、自分の芯のところで科学を信じているのでブレることはありません。
物理法則を超越するプロダクトは作れないし、オカルトや神頼みで目標達成できることはない。
理不尽なことを言われても、ロジカル・科学的でないケースでは
「お前がそう思うならそうなんだろう、お前ん中ではな」と涼しい顔で過ごせるようになりました。
ということで、ブレずに信念を通すためにも色々学ぶ必要がありますね。


以上、いくつかの視点でだらだらと書き連ねてみました。
究極的には学ぶかどうかなんてのは個人の自由ですしね。人の数だけ学ぶ/学ばない理由があってもいいと思います。
ただ、必ずしも薔薇色の将来が待っているわけではない今後の世界・日本の情勢を踏まえつつ、一度しかない人生を悔いがないように生きるためには学び続けるしかないような気もします。頑張りましょー!


p.s.
わたし、「英知と科学を駆使する」という概念が好きすぎて自担当のバリューに設定していたこともあるんです。ご参考まで。

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