八甲田山遭難
1902年、青森県八甲田山で陸軍が行軍訓練中に雪中遭難し、多数の死傷者を出す事故がありました。当時の日本は、1894年に日清戦争、1904年に日露戦争と、大陸での紛争に巻き込まれてゆく情勢にありました。冬季寒冷地での活動に不安を抱える状況に鑑み、こうした山中の冬季訓練は重要な課題だったのでしょう。この行軍は、陸軍の2つの連隊、青森歩兵第5連隊と弘前歩兵第31連隊がそれぞれ行いました。この事故では、青森第5連隊の参加者210名のうち199名が亡くなる大惨事になりました。他方、弘前第31連隊のほうは38名全員無事に帰還しました。お互いに、それぞれの行動日程は知らなかったということですが、奇しくも部分的に重なる日程で同じ日に八甲田山中におり、それでいて明暗を大きく分ける結果になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=yGa2LYGeS9c
この八甲田雪中行軍遭難事件をモデルにした小説「八甲田山死の彷徨」(1971年、新田次郎)は非常に有名です。1978年には映画化(『八甲田山』)もされています。大学の教養学部の2年生だった頃、工学部のセミナーに参加した時のこと、担当の先生からぜひ読むようにと勧められたのが、この本でした。翌日すぐに購入して一気に読みました。
青森歩兵第5連隊の悲劇は、小説にも映画にもとりあげやすい題材であり、多くの方の注目を集めるでしょう。なぜ、そんなことになったのか、と誰もが思いますし、そこに多くの教訓を確認することもできるでしょう。それは重要なことです。他方、きっと、その教訓、青森歩兵第5連隊の方々はもちろん、よくご存じであったはずです。にもかかわらず、実際に、そのような惨劇が起きてしまいました。
無事に生還した弘前第31連隊のほうは、いろいろな意味で対照的でした。私は高校時代、山岳部に属していたので、わかるつもりなのですが、弘前第31連隊の準備は非常にしっくりと来ます。準備は非常に重要です。行軍の1カ月前に準備開始、行軍のルートに沿う村落に通知して案内人や物資調達の手配をおこなっています。少数精鋭の人選を行い、防寒の実践的な知識を共有しています。装備や携行品にも注意を払っていますし、吹雪のなかの行軍で脱落者を出さないよう、隊員同士をロープでつなぐなどもしています。また、実際に雪の中で行動を開始してからでも、有効性が見出された経験を採用する柔軟性もあります。こちらのほうも、十分によい教訓として、理解される内容と思います。きっと弘前第31連隊の方だけでなく、陸軍の関係者の方、特に指導者をつとめるほどの方であれば、どなたでも常識だと思うようなことなのだと思います。
おそらく、真の問題は、わかっていても、知っていても、その教訓の通りには行動しない(しなかった)ことでしょう。そこには、社会組織がもつ問題もあれば、自然に対する畏敬の念の欠如や形骸化といったこと、あるいは個人のレベルで自ら誤謬にはまる構造をどこかに持っており、それに対する警戒心のゆるみがあったこと等、あるかもしれません。
新田次郎氏の小説は、山岳ものが多いこともあり、「八甲田山死の彷徨」を第1冊めとして、その後、(たぶん)全作品を読みました。恩師に科学研究に携わる者こそ読むべきと言われたことの意味がいまではわかるつもりなので、いつか、他の書についても書いてみたいです。そして、読んでいるうちに、だんだんと気になってきたことがあります。これだけ山のことを知っており、また登山者の行動様式を熟知しており、さらには、きわめて優秀な登山家でさえ遭難して亡くなる事例が多いことを作品にさえ描いてきている作者のことです。遭難は、単に不勉強、不注意、不心得の産物で、しっかり準備し、注意を怠らなければ防げるとまで単純に作者は考えていないような気がしてきました。無事生還した弘前第31連隊は立派ですが、その成功が実は、いっそう高度な注意を必要とし、それがなければ容易に悲劇につながる、危険度の高いステージに進んだことを意味しているのかもしれません。成功が失敗のもとになりうる論理構造とでもいえばよいのでしょうか。
イギリスの登山家 George Mallory (1886-1924)とAndrew Irvine (1902-1924) は、世界最初のエベレスト登頂をめざしたイギリスの第3次遠征(1924年6月)にまつわる伝説的な方々です。頂上の数100m手前までは確認されていますが、登頂に成功したかどうかも含めて謎です。75年後の1999年に遺体が発見されました。
Mallory は、The New York Timesの記者に "Why did you want to climb Mount Everest?" (なぜあなたはエベレストに登りたいと思ったのですか) と聞かれ、"Because it's there" (それがそこにあるから) と答えたことは有名です(1923年)。登山家が困難を極める未登頂の山に挑戦したいと願い、そうしようと熱心に行動するのは、登山家が登山家であるゆえんでしょう。Mallory はこうも言っています。"Everest is the highest mountain in the world, and no man has reached its summit. Its existence is a challenge. The answer is instinctive, a part, I suppose, of man's desire to conquer the universe."
http://graphics8.nytimes.com/packages/pdf/arts/mallory1923.pdf
Mallory のような世界的な登山家、冒険家でさえ、最後は遭難してしまいました。同じ運命をたどった登山家はたくさんおられます。彼らは、もちろん、注意事項も何もかも全部承知していたはずです。
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群盲評象2020(580過去記事、2021年7月末まで)
本マガジンは、2019年12月29日から2021年7月31日までのおよそ580日分、元国立機関の研究者、元国立大学大学院教授の桜井健次が毎…
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