歳をとったという本質
みなさんが自分の事を、
歳をとったなぁ
って思うときはいつですか?
シワ?体型崩壊?髪の毛が薄い?
目が見えにくい?歯が汚い?
常に口が臭い?耳が遠い?
記憶ができなくなった?
姿勢が悪い?肌荒れ?
疲れやすい?
ま、だいたいこんなような表面的なのが大半でしょう。
こんなもの、僕から言えば
歳でもなんでもない。
ただの自然現象ですよ。
正直、他人はあなたにそこまで興味がない。
驚くほどにね。
そこに気づかないといけませんね。
あなたが肌荒れてようが
シワだらけになろうが
太ってきたやろうが
ハゲてようが
他人には一切関係ないこと。
そんな、小さい事で歳を感じているならば
まだまだ他人に縛られて生きてますね
絶好調で他人の目という人生を生きていますよ。
それでも
表面的な身体状況の事を
老けと呼ぶなら
歳やと言うなら
あなたは、永遠に苦しんでいけばいいと思います。
なぜならその価値観でいくなら
我々は1秒づつ死に近づいています
細胞は死んでいきます
時間には誰も勝てないって言う事実を
もっと深くまで知る必要があります。
さらにかなり厳しい言い方をしますが
あなたが他人を見た目で評価してるから
あなたも自分が見た目で評価されていると思考してるんですよ
つまり、早く治さないといけないのは
あなたのその思考です。
僕や、ラボの研究チームにおける
老けの定義とは
歳をとるという定義は
柔軟な思考を失った時
です。
僕は、
固定概念に縛られて、新しい視点を取り入れ
また再度考えるという事ができなくなった人間を老けている
歳をとった人間
と考えています。
まさに老害ってのです。
この定義では、20代が相手でも
老害ってのはいます。
逆に80代でも、若いな!って人もいます。
うっすい表面な数字だけの年齢なんて
どうでもいい
人間なんてたかだか80-100年程度しか生きれない
そんな短い時間の中で
一体なにをそこまで偉そうにできるんやろう?ってことです。
我々の研究という仕事では
固定概念をもつ人間は終わります。
常に、新しい視点で仮説をたてる
どんな意見も取り入れてみる
やったことない事は経験してみる
また再度考える
実証する
そしてまた考える
一度すべて0にして、また考える
を繰り返します。
みなさん、気がついたら
私達の若い頃は、、、
俺らの時代は、、
とか、終わってる日本語使ってませんか
そういう日本語使いだしたら
本当の意味で、年寄ですよ
いやいや
この新しい時代の幕開けで
新しい価値観もたくさんあり
大きなゲームチェンジがあり
その中でコロナもあり
次次と世界観が変わってくなかで
僕も含めて
あなたの数年の知識や経験なんてのは
なんでもない。
常に我々は
新しい事に、新しい思考を模索していく人生なんですよね
その視点で考えているからこそ
僕らの世界では
特に子供達をリスペクトする傾向にあります
子供達には
固定概念がまったくない
常識やら偏見でモノを見てない
常に純粋に、なぜだろう?
を思考できる
今までの訳わからん成功体験とか無視
今回の課題は、どうやって考えていこうか(^^)
とワクワクして考えている子供達の姿は
我々研究者チームとしても
尊敬の目で見ています
子供達は表面的な数字として若いだけではありません
柔軟な思考という定義でも
非常に若い。
もちろん、
若いってのは誤ちも犯す
僕らは誤ちやとわかっていて同じ誤ちを犯してはなりません。
その違いがあるだけで
子供達の柔軟な思考は
心より尊敬できます
が、よくいるんですが
子供相手ってだけで偉そうに語る大人
こうした方がええで
これはやっといた方がいいぞ
それはやっても意味ないで
違う!それはあかんで!
って、
怖いですね。
脳が歳をとっている人間の発言ってのは。
みなさん例えば
ノーベル賞受賞者とかがインタビュー受けていて
その内容を語ってる時とかに
うわ!ハゲてるやん!
皮膚ボロボロやなぁ
歯がガタガタやんか!
服装しわくちゃやなー
ブサイクやなぁ
なんて思って見てるんですか?
それならば
それがあなたのレベルですし
あなたの価値観です。
人はね、
そんな表面的な事で決まらないのですよ。
人間的に深いかどうか
人間的に若いかどうか
もっと本質的なところを見ていないと
側で苦しむのはあなたですよ
見た目はいくらでも老けてもどうでもいいんですよ
それよりも、思考が老けてる方が
何倍も恐ろしいことなのです
表面で生きるか
本質を見るか
あなたの人生なので
お好きにどうぞ!
ちゃんちゃーん₍₍ ◝( ゚∀ ゚ )◟ ⁾⁾