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自分自身が信じられない事が、最悪。

欧州などでは
会社はギルド、カンパニー
つまり、
労働の対価として収入を得るというだけの場所

彼らは定年を心より待つ。
労働から開放され
年金で生活するその時間を望む

労働しなくても収入がもらえる事は
個人の権利。

そのような精神構造
そのようなプロパガンダ
それらからくる
思考過程

よって、成り立つ。

が、日本人はこれは合わない事が多い

未だにある生活保護への偏見と差別目線
日本人が大好きな 空気 とやら。

労働せずに収入を得るものを、
やはりどこかで許せないのです。

日本人に個人の権利なんて思想は合わない
島国の共同体には、そんな概念はマッチしない。
無理やり使おうとするから、意味不明になっていくのですよ。

しかもおもしろいと思うのが
うちの精神科病院の入院患者は
若い人から高齢まで
ほとんどが生活保護を受給しているのですが
当事者もその状況に
後ろめたい気持ちをもっていることです。

そう。
個人による当然の権利やと思考していなかったりします。

彼、彼女らは
自分と向き合った時、
その状況が自分に自信をなくさせているのです。

少なからず、
自分と向き合うという価値観。

それが、我々にはどこかに常にある。
これがなんともおもしろい。

それこそ
僕の記事は言い方はきついし
綺麗事は言わないのにも関わらず

僕の記事を読むような人は
その内容を
僕に共感するのではなく
読んでいる自分に共感していくのでしょう。

それこそ
僕らがどこかにもっている
自分自身と向き合う精神構造

逆に、注意が自分に向いていなくて
いつも外の世界に
いつも他人の世界に
向いている人間は、
僕の記事には0.1%も気づきはないはずです。

僕の記事に反応するタイプは
おそらく
自分自身と向き合っている
又は、
向き合いはじめてる人間やと考えています

さらに
日本人は定年退職後に仕事をなくし
すぐにボケる人間がいる
何かしらの繋がりや
所属する欲求を求める

その気持ちをとめられず
警備員やら
接客やらをはじめる高齢者もいる

労働から開放される喜び
労働せずとも収入を得る喜び
そんな目先の欲望だけでは
自分が納得できない

そんな精神構造もやはりあるようで。

日本人は無宗教なんて言うが
勉強不足もいいところでしょう。

一神教じゃないだけです

江戸時代前期を生きた禅の僧侶である
鈴木正三
の言葉であるように

内なる仏
唯自身を信ずべき

を我々は自然という概念からもっている。

八百万の神が何かを思い出せばいい。
日本人は無宗教は、あまりにもお粗末。

江戸時代のような頃では
それぞれが、それぞれの仕事を
誰か言われる受動的なスタイルでなく
自分と向き合い行っていました。

金のために!
誰かのために!

なんて浅はかさな精神構造ではなく
我々は自分自身の為に
自分自身が納得するために

働いてきた 

とかではなく

生きてきた
のですね。

我々にとって最悪なのは

神を信じられなくなることではありません。

我々にとって最悪なのは

自分を信じられなくなることです

自分という人間は
これからも死ぬその瞬間まで
1秒たりとも離れられません。

これからあなたが
どこへ行こうが
何をしようが
どの、瞬間も
自分という人間はそこにいます

嘘ついても
心にない事を言っても

常に
自分は知っていますよ。

ずっと僕達の精神構造にある
自分と向き合う
一言で言えば

は、誇れるものであると考えています。

今、
情報も物も溢れすぎて
ブクブクに太った豚ばかりになってきていますが

今こそ
侘び寂びが示すこと
閑寂を愛でてきた文化
そして

思い出す時なのでは
と思います

スティーブ・ジョブズなんてのが
禅に心を惹かれ
マインドフルネスとか言い出して
日本人がそれに
おぉ〜!ってなってる場合じゃないでしょうよ。

少しばかり
注意が外に向きすぎています。

そろそろ
自分自身に向けてください

ちゃんちゃ˖꒰ᵕ༚ᵕ⑅꒱



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