ふざけ癖
うちの親は、子供には積極的に勉強させていた方だと思う。それは結構強引な方法で、小学生の頃よく言い聞かされていたのは、「卒業したら塾に必ず入れるからな」という脅し文句だった。当時の僕はビビリまくり、塾なんて監獄に入れられるようなものだと思っていたし、中学生になりたくないと恐れていた。2歳年上の姉は、僕とは違って小学生から塾に通っていて、メキメキと成績を伸ばしていた。しかし、僕はなぜか通わさせられなかった。それは今思うと、勉強以外の道を辿らせようとしていたのかもしれないし、普段からの僕のわんぱく小僧っぷりを見て、塾なんか入れたら周りの子に迷惑をかけると思われていたのかもしれない。小学生の時、僕にとってそれは執行猶予期間のようなもので、ほっとしつつ、でも抵抗もできず毎日を過ごしていた。しかし学年が3年生になったところで、衝撃の発言が親から発せられた。それは、「夏季講習には行きなさい」という言葉だった。
幸にも不幸にも世の中には塾に行かなかった人がいるであろうため説明しておくと、夏季講習とは、夏休みなどの長期休みの間、昼間っから塾で授業を受けるものである。なんで夏休みの昼間っから勉強なんぞ…夏休みは勉強しないためにあるのでは…?と、僕は目一杯抵抗したが、慈悲はなかった。そういうわけで、夏季講習には通っていたのだが、いったん通うリズムができてしまうと、それほど苦痛に感じることは多くなかった。それに塾の先生というのは面白い人が多くて、一人一人キャラも濃く、授業の合間合間にぶっ飛んだ体験談とかを話してくれた。例えば、歯磨きをしながら腕立て伏せをしていたら、手が滑って喉に歯ブラシがめり込み、病院に行ったら、喉の奥が歯ブラシの肢のカタチに凹んでいた話とか、絶対に触っちゃいけないような神聖な木の靴が、神社の倉庫の中に奉られていて、それを履いて遊んでみたら、もの凄いレベルの怪我をしたとか…そんな話だった。
まあ、それらも差し置いて真っ当な理由として、明らかに学校で教わるより授業が分かりやすかった。その経験からか、「教える/教えられる」ということに今でも貪欲で、どちらにも快感を覚える。それに、塾でしか会わない他校の友達とかも出来たりして、刺激は多かった。僕の家は、田舎の中でもさらに田舎にあり、周りに同じ学校の友達は住んでいなかったから。
そのような中、その同じ塾の友達は、よく一限目を遅刻してきていた。一限目が終わった休み時間に、しれっと教室に入ってきて、二限目から授業を受けているのだ。彼は、僕と同じ電車に乗って塾まで来ているのに、僕が一限目に間に合って、彼が来ていない時があるのは、なぜだろうと思っていた。ある日その理由について問いただしてみた。すると、一限目は塾の近くでサボっているのだという。
今となってはあり得ない話かもしれないが、その塾では出席を取っていなかった。生徒も多かったし、まさか塾をサボるような子はいるまいという親・先生たちのマインドであったのだろう。だから、一限目にいなくても、二限目からひょっこり顔を出せば先生も何も問いたださないかったし、親へ連絡が入って心配で捜索されるなんてこともなかった。そんな、がばがばな針の穴を通すような法の掻い潜り方を見つけ、一限目をサボっている友達に興奮し、「俺もサボる!!!」と次の日からその友達に同伴することにした。俺もサボるってなんやねん。昔から僕は何か心の底から興奮することがあると、あとさきも、周りの意見も全く耳に入らず、まず身体が動いてしまう。そんなこんなで友達はサボって何をやっていたのかというと、本屋に行っていたようだった。今は数少ない、街の小書店みたいなかんじの本屋だった。立ち読みしてるとおじいさんがハタキで追い払ってくるような内外装の本屋といえばわかるだろうか。広さは小学校の教室ほどで、ちょうど教卓があるとしたらここにあるだろうなという真ん前の位置にレジがあった。そこには、ハタキで追い払ってはこないような静かなおじいさんが切り盛りをしていた。本棚は、教卓もといレジから奥に向かって長く数列伸びており、レジのおじいさんから、本棚を大体全て見渡すことができると言う防犯にも高いフォーメーションだった。友達は、そこに入店するやいなや、もう常連で店内は知り尽くしたといった顔で店の一番奥のスミというおじいさんからは死角となる位置に直行した。
友達は、何をするのかと思いきや、本棚に向かって背伸びをして、今向かっている本棚の奥側にある反対側の本棚の一番上に並んでいる本を取った。わかりにくくて申し訳ない。つまり、本棚から本を“正面“から取るのではなく、本棚の“背後“から本を取ったということだ。背の低い本棚なら、それができるのだ。そして取ったその本を見せてくれた。それは、案の定、だがしかし、当時では見たこのない、初めて見た大人の漫画だった。小学生だったため、真剣に吟味することはもちろんなかった。未知の世界で興味津々だった。まずその大人の本にありがちなネタみたいなタイトルに爆笑したし、子供姿のアニメキャラが奇妙なポーズをしている表紙の絵にも爆笑してしまった。登場人物がやっていることも意味不明で、爆笑した。(もちろん今ならよく分かる)まあ、よく考えたらそういうのってツッコミどころの塊なんですよね。非日常の中の非日常を描いている。でも今考えたら、おじいさんからは僕らが丸見えだったんだろうなって。微笑ましいいなーと見られていたんだろうか。それだったらいいよな。しかもそれを一週間くらい続けてても何も言われなかったんだから、おじいさんは相当心の広い人だったんだと思う。小学生がギャハギャハ笑って大人の本を見ていたというのに。大人になってから思い出す子供の頃の話って、恥ずかしくて、顔から火が出そうになりますよね。関係者はもう絶対忘れてて欲しいと切に願う。そして、頭の中に封印して蓋してお札を貼って、もう二度と思い出しませんようにってするのが殆どだけど、今回の話に関しては知らず知らずの内に大人や他人から守られて生きてることを思い出させてくれる。ほっこり気分まで感じてしまった。おじいさんに感謝。
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