新聞の一面には、祖師ヶ谷大蔵駅での無差別殺人事件が載っていた。当時多発していた電車内での殺傷事件だ。むごい事件だった。その路線はよく使うし、つい先日まさにその駅で降りたからだ。でもがっかりしたのはそれだけによるものではない。この犯人は自分なんじゃないか? と思うのである。 正確には自分はその日は、別のところにいたため、犯人ではない。でも、僕は、何かにおいて絶望する時、自分が最終的には犯罪者になってしまうのではないだろうか? という考えが頭にこびりついて離れない。 それは、
早朝はまだ、空気が動いていない感じがする。薄明かりの消灯された台所の、薄青みがかったシンクとコンロの間。そのすきまに、前の晩洗ったフライパンが、前の晩には、サラダオイルとカンカンに熱せられていたのも束の間、その熱病もすっかり引いた鉄のフライパンが、ひと湿りの水気も無く全て蒸発し、冷たく鎮座している。 ただそこにあるだけで、これから思う存分、自由に使ってくださいという固めの、まだ誰にも使われていない使い放題の空気。そんな堅実でフライパンのような空気が辺りに詰まっている。朝の早
昔、タイに9カ月間住んでいたことがある。23歳の頃だった。あの時はビザやら住むところやら、食べ物やら、はたまたビザの延長申請やら、もちろん言葉も通じないし本当に色々大変で、でもありとあらゆることが新鮮だった。そして、帰国してからは浦島太郎状態となり、同年代の友達はほとんど遠くに引っ越していってしまった。少し歳の離れた仲の良かった人たちも、9カ月の間が空くと、何か理由もなしに遊ぼうという気が全くなくなってしまった。多分、寂しさゆえに何となく参加していたコミュニティもあったのだろ
この前、池のほとりに立っていたら、何かしらの黒い物体が近づいて来た。水面に波紋が拡がり、黒い影が這い上がり、一体なんだ!?と身構えると、ひょこっと顔を上げたのは1匹のカメ。そいつは、もっと近づいてきて、その小さな身体を、小さな岩に、まるでプールサイドにしがみつくように上半身だけ、両腕を使って乗り上げた。瞳もこっちを見ていた。人間とカメがしばらく見つめ合っている。しばし奇妙な時間が流れた。空は快晴で、雲一つない。と言いたいところだが、ただ一つだけ、一筋の縦長い雲が浮かんでいた。
好きな本ってのは読み返しても、多くて三回だと思う。 と、昔、好きな女の子と遊んでいるときに話した。相手は、うーん、そうかな…?と少し考えた。しばらくしてから、何かを思い出したように、たしかにそうかも…!と言った。何気ない自分の中の法則を、ふと思い出して、同意してもらえたことが嬉しかった。やっぱそう?やっぱそうだよね?うんうん。と心の中で思ったものだった。 僕は、活字本は多くて三回までしか読み直したことがない。小説や新書のことだ。流石に三回読んでしまうと、だいたい中身を覚えて
よく有名人の中に、「小学生の頃の恩師のおかげで自分はこの仕事に〜」とか、「あの時の先生の一言がなかったら今の僕は〜」みたいな、なんだよその大人から才能を見出されたり、子供なのに家族でない大人と大人の付き合いをできる思慮深さは…と羨んだりしたこともあった。僕にはそんなものはなかった。でも、一人めちゃくちゃアクの強かった先生のことは、とてもよく覚えている。その先生は、眉毛がかなり太かった。だから、「まゆげ先生」と呼ぶことにする。 まゆげ先生には、ふざけた態度は通用しなかった。常
もしかして、自分は痛みや苦痛に鈍感すぎるのではないか? 最近そのように思う。小学校を卒業する時のことだ。担任の先生は、一人につき、1単語の漢字を書いた紙をプレゼントしてくれた。そのカードは、少し高級な柄と凹凸がついた紙で出来ており、色は緑色という僕の好きな色だった。そして中には、今まで全く意識したことのなかった単語が書かれていて、なぜこの単語が僕なんだろう?と思ったことをすごく覚えている。 そのカードには「忍耐」と達筆で書かれていた。僕は、当時、思ったことはすぐ発言し、やりた
うちの親は、子供には積極的に勉強させていた方だと思う。それは結構強引な方法で、小学生の頃よく言い聞かされていたのは、「卒業したら塾に必ず入れるからな」という脅し文句だった。当時の僕はビビリまくり、塾なんて監獄に入れられるようなものだと思っていたし、中学生になりたくないと恐れていた。2歳年上の姉は、僕とは違って小学生から塾に通っていて、メキメキと成績を伸ばしていた。しかし、僕はなぜか通わさせられなかった。それは今思うと、勉強以外の道を辿らせようとしていたのかもしれないし、普段か
ミュージシャンなどで、映画マニアの人がいるが、あれは映画から“構成”の勉強をしているんだと思う。構成とはなにか?と、あなたは聞くかもしれない。テレビ番組を例とすると、いいところでCMになったりして後を見たくなるだろう。まさにあれが構成のなす技だ。”ストーリーの切り貼りのこと” とも言えるかもしれない。どこで盛り上げて、どこで抑えて、より話をひきたてるか考えて組み立てる。それは、ミュージシャンにとっての曲や歌詞も同じなのだ。 構成の勉強を、恋愛ものから取り入れようとすると自分の
僕は大学生だった頃、長期休みになると、いつも数週間仲間たちと自転車旅行をしていた。なんかその地にどうしても行きたいとか、自転車が好きで好きでたまらないとかそういう気持ちは別に無くて、ただわいわいしたかっただけだった。 同じ旅をした仲間の中には自転車旅行狂が必ず一人はいて、そういう人が必ずナイスなプランを計画して盛り上げてくれた。僕はただついていくだけの人だった。計画もしてみたが僕には全くセンスが無かった。それはどういうことかと言うと、繰り返しになるが、心から自転車旅行を愛して
こんな仰々しいタイトルをかかげて、人の心を動かし世界を変えてやるなんてことはない。 そうです。気軽なエッセイだから安心してください。今回は、約10年くらい前の話だ。都内に何かしらの用事で出掛けたとき、なんの用事だったのか思い出せない。下北沢とか高円寺とか、上野だったのかもしれない。古着を買いに行ったのか、街歩きをしたのか、美術館に行った帰りだったか、どこかの芸大祭に行ったのか、とにかくアートの気分が触発されていたことしか覚えていないけど、普段は恐れ多くて入らないような一風変わ