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手放すということ

私たちは日々、様々なモノ・情報に溢れた中で生活をしている。スマホの中にはニュースやSNSからの情報が溢れている。部屋を見渡すだけで「本当に必要なのか?」というモノがいくつも目に入る。人生の悩みや迷いの元となる煩悩の一つに「もっともっと」という心がある。

それは仏教用語で言えば貪欲というものだ。

私たちは無意識のうちにもっと良いモノが欲しいと貪(むさぼ)り、もっと情報がほしいとインターネットを駆け巡りながら貪っている。

気づけば一度も使わない服や雑貨を買っていたり、本当に探している情報はどこにいったのかわからなくなったりしたことはないだろうか?ネットサーフィンなど言っていたがもはや情報の波にのまれてしまっている。

毎日の新聞と一緒に広告が入ってくるように、インターネットの中にはいたるところに広告がちりばめられている。それも新聞についてくる広告なら、はっきりとわかりやすいが、インターネットの中では見分けがつきにくい。有名人がインスタグラムで紹介している化粧品の写真が広告だったり、YouTuberが紹介している動画が広告だったり。このnoteにも広告の記事がたくさんあると思う。

広告が悪いと言っているわけではない。私たちは無意識のうちに広告を目にし、もっともっとという貪る心を駆り立てられ、情報を求め、モノを買っているということなのだ。

今この時代、この貪(むさぼ)る心とどのように付き合っていけるかが、よりよく生きることに繋がって行くのではないかと思う。

モノを手放す、情報を手放すということはよりよく生きるためのポイントではないだろうか。なにもミニマリストになれと言っているのではない。自分が本当に必要としているものはなんなのか。そんなに情報を手に入れてどうしたいのか。

必要としている正しいモノと、必要としている正しい情報。

この2つを見極める力を身につけていくことがよりよく生きるためのヒントだと思う。

私は最近になってやっとそのことに気づき、少しずつだがモノを手放すようにしている。今やメルカリをはじめとするフリマサイトがあるので、捨てることなくモノを手放すことができる。家に眠っていたものを、時間をかけて少しずつ手放してきた。部屋がすっきりとしてきた。

どれだけのものを手放せば良いのか、それは自分がすべてのモノを管理できるまで手放せば良いのである。

モノを手放していくと、心もすっきりとしていく。どんなところにも余白というものは大切だ。そして、部屋の余白と心の余白は比例しているのかもしれない。

実はまだ、情報を手放すことはまだできていない。わかっていても、情報を手に入れておかないと、時代から遅れてしまう(ような)気がして気づけば情報を貪っている。スマホとの上手な付き合い方。これを模索しているところだ。

ちなみに情報を手放すことは、頭の中のすっきりさせることに繋がっていると私は思う。新しいアイディアや集中力、頭の余白を増やすことで新鮮な空気が流れ、様々なことに取り組むことができるだろう。


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