多くの人は何かに憧れ、誰かに憧れ、 そこにたどり着けるように努力を重ねていきます 憧れのスポーツ選手 憧れの芸能人 憧れの学者 憧れの経営者 ああなりたい、こうなりたい、 何かに憧れ、目標としていくということは とても素晴らしいことだと思います 誰しもが必ずそのようにして、 目標を見つけ、努力し、憧れに近づいていく、 時には追い越していく でも、時にはそのことが自分自身を 傷つけることがあります こんなはずじゃなかった どうして私はこんなにできないの どう
これ、多くの人が誤解していることなんです 仏教は亡くなった人を供養するためにある 確かにそういう捉え方をする、宗派もあるかもしれません そういう側面もあるかもしれません でも、少なくとも浄土真宗ではそうは受け取りません 仏教は「生きている人のため」にあるんです 仏教を開かれたお釈迦さんは、 人間なら必ず訪れる「生老病死」 つまり、生まれ、老い、病み、死んでいくこと このことをどう乗り越えていくのかということに悩み、 出家して乗り越える道を求めました そして
「僧にあらず、俗にあらず」 この言葉は、親鸞聖人の言葉です。お坊さんでもなく、それ以外の一般の人でもないということです。 これは親鸞聖人ご自身のことを表す言葉で、いわば「中途半端な存在」ということです。 悟り(苦しみや迷いから抜け出すこと)を得ようとしたけれども、お経に書いてあるような厳しい修行をしても悟れず、出家したけれども、出家する前(在家)のような生活もまた恋しい。そんな中途半端な存在です、ということ。 これは親鸞聖人だけのことを指すことだけでなく、現代において「
お寺ってなに? 最近あーこれだ!って思ったことがあります。 お寺って、 「安心して悩める場所」 これだと思います。 人はそれぞれ大なり小なり悩みを抱えて生きています。 人に相談できないような悩み 人に相談しても解決できない悩み 小さすぎて相談したらバカにされるんじゃないかと思う悩み みんな、それぞれの悩みがあるかと思います。 そんな悩みを遠慮せず打ち明けれる場所 解決はできないかもしれないけど、 一緒に悩むことならできます。 お寺はそういう場所なんじ
2023年1月8日 大切な友達が雪崩で行方不明になってしまった あれから1年 山を見るたびに彼を思い出す 雪を見るたびに彼を思い出す 自然は魅力的だ 人の心を癒してくれる しかし、時に残酷だ 死は突然にやってくる 頭ではわかっているのだけれども、 明日死ぬかもしれない そんなこと誰も考えない 大切な人が明日いなくなるなんて 誰も思わない 彼はまだ見つからないけど、 もうこの世にはいないのだろう 人の寿命は長くても100年ほど 長いような短いような 死
何かができるようになることって嬉しいですよね。自分が積み重ねてきた努力が報われた結果、できるようになるのですから。自分の自信にも繋がります。 みなさんも小さい頃から努力しなさい、勉強しなさい、なんて言われてきませんでしたか?努力するのは何かを成し遂げるため、勉強するのはできることや可能性を増やすため、ではないでしょうか? でも、だんだん大人になってくると、できることも、これから何かを達成しようとすることも、難しくなってきますよね。 赤ちゃんの頃は、寝返りを打つだけで褒め
結婚して3年目、妻が妊娠した。2021年1月末、妊娠4ヶ月である。 最近はつわりが少しずつ良くなってきているが、それでも気を緩むと症状が悪化する。ほんの2週間前までは元気な姿をほとんど見なかったし、毎日吐いていたし、点滴も1回打った。 私が帰ると妻はコタツでいつも同じ体勢で横になっていた。部屋の中は寒い。ストーブを付けに行く余裕もなかったのだ。 妊娠のときは夫が支えてやらねければならない。私は僧侶なので一般の人からすれば業務形態は自営業みたいなもの。もちろん、突然の連絡
私たちは日々、様々なモノ・情報に溢れた中で生活をしている。スマホの中にはニュースやSNSからの情報が溢れている。部屋を見渡すだけで「本当に必要なのか?」というモノがいくつも目に入る。人生の悩みや迷いの元となる煩悩の一つに「もっともっと」という心がある。 それは仏教用語で言えば貪欲というものだ。 私たちは無意識のうちにもっと良いモノが欲しいと貪(むさぼ)り、もっと情報がほしいとインターネットを駆け巡りながら貪っている。 気づけば一度も使わない服や雑貨を買っていたり、本当に
なにかとても重たそうなタイトルですが… 「死」ということを考えることは決して悪いことではありません。むしろ「生」というものを考えるときには、「死」というものも考えなければなりません。 なぜなら「生」と「死」は紙の表と裏のような関係だからです。 限りあるいのちを生きている私たちこのnoteを見ているあなたは、「生」きています。 そして、見ているということはこのタイトルが気になったからではないでしょうか? 一度は、考えたことがあるのではないでしょうか? 死んだらどうな