中学の親友の結婚式でもう戻らない時間を実感して悲しくなってしまった話
※筆者は卑屈です。
しばらく連絡をとっていなかった中学時代の親友からLINEが来た。
「結婚式すんねんけど、よかったら来てくれへん?もしよければ友人代表の挨拶もしてほしいねんけど…どうかな?」
彼女とは中学校3年間同じクラスだった。
休み時間もお弁当も移動教室もずっと2人で一緒にいた。
いわゆる「親友」だった。
これはおそらく、彼女との認識に違いはなかったと思う。
だからこそ友人代表の挨拶という大役を任せてくれたのだろう。
正直、めちゃくちゃ嬉しかった。
LINEを読んで、ちょっと泣いた。
彼女とは別の高校へ進学した。
高校時代は、お互いに部活が忙しく、ほとんど会えなかった。
大学になってもそれは変わらなかった。
彼女は教員免許を取るため少し遠くの大学へ進学し、下宿をしていた。
軽音サークルへ入っていると聞いた。
大学に入ってからは、連絡をしても返信が返ってこなくなった。
勉強やサークル、バイトで忙しいのだろうと思っていた。
同じ学部に教員免許取得をめざす友人がいたが、それはそれはハードな日々を送っていた。(教育学部ではなかったので少し事情は違うのだが)
もともと、マメに連絡をチェックするタイプではない子なので、連絡が返ってこなくてもあまり気にしなかった。
そういうわけで、彼女と私の時間には、高校・大学とほぼ7年間の空白があることになる。
どう考えたって、その間に私より親しい友だちができているだろう。
それでも私を選んでくれた。こんなに名誉なことがあるだろうか?
もちろん二つ返事で引き受けた。ただ、懸念事項が1つあった。
式に参列するのは、私を含む地元の仲良しグループ数人以外に、親族と、あとは大学のサークルのメンバーだけだという。
新郎である旦那とは、サークルで知り合ったと聞いていた。
つまり、サークルのメンバーは、2人の共通の知り合いである。
私たちからするとちょっとアウェイな感じだ。
だが、むしろそんな限られたメンバーで執り行う式に呼んでもらえたことが嬉しかった。
当日が待ち遠しかった。
しばらくして、自宅に招待状が届いた。招待状には、メッセージカードが添えられていた。
「もちちゃんのいつもしっかりと自分の意見を言うところ、本当にかっこよくて尊敬していました。当日の挨拶、よろしくお願いします。」
まずい、と思った。
私が人前で自分の意見をはっきりと言える女だったのは、中学3年生、15歳の時までだ。
高校に入学し、環境の変化について行けず、軽い鬱になった。
それ以降の私は、以前の天真爛漫さはかけらも無く、陰気で卑屈なブサイクだ(現在進行形)。
当然、人前でしっかりと話ができるタイプではない。
あ、内弁慶なので、仲間内では偉そうにします。
彼女の私への認識が、現状と異なりすぎている。これが最初に感じた、彼女と私の戻らない時間への気付きだった。
彼女は、私の友人代表挨拶という役割のほかに、私以外のグループのメンバーへも受付という役割を用意してくれていた。
アウェイな状況ではむしろ、こうやって役割のある方がありがたい。
彼女はそういった気遣いができる女なのだ。
周りの誰をも蔑ろにしない。
心の底から優しく、他人への慈しみの心を持っている。
こんなイイ女が自分の親友だったことが未だに信じられないくらいである。
この慈愛を一身に受けることのできる旦那が心底羨ましい。
私も彼女たちについて行き、受付周りをウロチョロしていた。
さすが、いかにもバンドマンといった風貌の面々が次々とやってくる。
彼ら彼女らも久しぶりの再会なのだろう。
「おう!元気にしてるんか!」等と言葉を交わす姿が見受けられた。
もちろん、全く知らない顔ぶれだった。
(彼女は、私の知らないところでこんなにたくさんの人たちに囲まれて過ごしていたんだな)
寂しくなった。
毎日一緒にいた親友が、少し遠い存在のように思えた。
式は、小規模だったが素敵なものだった。
「みんなが楽しめる式にしたい」という新郎新婦の思い通り、型にハマらないもので、時間があっという間に過ぎるほど楽しかった。
披露宴では、たくさんのバンドの演奏を聞くことができた。ちょっとしたライブみたいだった。
披露宴の終盤、動画が流れた。
2人の出会いの場である、サークルでの思い出の写真がたくさん詰まったスライドショーだった。
バンドの練習をしている写真、合宿での集合写真、飲み会での一コマ、それを見て盛り上がるサークルのメンバーたち…
私の知らない彼女の時間が、こんなにあったのか。
そう思った。そしてそれと同時に
私たちには連絡の返事もくれないのに、この人たちとはこんなに会場が湧き立つほど素敵な時間を過ごしていたのか。その何百分の1、何千分の1の時間でもいいから私たちにくれなかったのか。
そう、思ってしまった。
正確には、その場ではここまでの感情は出てこなかった。
だが、帰宅してからもずっと、自分の心の中に、幸せな気持ちと一緒にわだかまりのような小さな靄がずっと存在していた。
想いを巡らせ、気持ちを整理する中で気づいた感情だった。
先に言っておくが、彼女の行動や振る舞い、そしてこれからの幸せを否定するつもりは全くない。
誰よりも彼女の幸せを願っている。
それだけは勘違いしないでほしい。
だが、式を通して、自分たちよりも彼女と親しい存在、彼ら彼女らと過ごした、傍目にもわかるほど濃く楽しい時間を見せつけられたような、そんな気分になってしまった。
一緒に過ごした思い出、彼女のお弁当に入っている餃子が美味しそうで一つもらったあの瞬間、休み時間のたびにお互いの机に集合したこと、学校のテラスで円になって喋った昼休み、放課後に誰かの家に集まって駄弁った時間、アニメや漫画やボカロの話で盛り上がるひととき、ドラマを撮るだのバンドを組むだのと夢だけを語れたあの日あの時。
どんな時でも私たちの横で、いつも優しく笑ってくれた彼女と過ごした日々が、もう戻らない過去の出来事なんだと、そう感じた日でした。
多分、「遊ぼう」と誘えば彼女は会ってくれると思う。
でも、なんだか変わらないと思ってたものが、そうじゃないものもあるんだな、と。
これからこんな感情を何度も味わうことになるのかな。
大切な人には、会える時に会っとかなきゃいけないな。なんて思ったり。
とりあえず一つ言えるのは、私の友人たちよ、間違っても私に挨拶みたいな大役を任せるな。
ただそれだけです。
おわりっ!
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