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『劣化するオッサン社会の処方箋』(山口周著・光文社新書)を読んで。

もう40年ちかく企業や商品のブランディングに関わってきた。
そうすると、あることに気づく。
それは創業者や開発者の情熱が、幾星霜を超えたのちには雲散してしまうという現象。
たとえ「創業の理念」として現在の現場の社員や生徒にいたるまで創業者の言葉を毎朝唱えていたとしても、だ。


しごとと地域柄なのか、明治創世記の人々の動きを追うことが増えた。
例えば光永星郎氏と佐々友房氏。
光永氏は僕が所属していた電通グループの創始者であり、佐々氏は僕が学んだ熊本県立済々黌高等学校の前身となる私学校の創設者である。

資料を読み込むと、二人とも最初はフツーの、やや血気はやるといった程度の若者であった。
どちらかといえばけっこうアホの部類(のぼせもん)だったのかもしれない。
なのに。
それがいくつかの経験のなかで真剣に悩み、どげんかせんといかんと思い立ち、あるべき社会を思い描く中で自分がなすべきことを定め、結果的に現代にまで隆盛を誇る企業群や学校群を残していたりするのである。

この二氏だけの話ではない。
我が家の幕末明治創世記からの数代にも、同じように思いを心に溜めて新たな人生を求め世に出て潰された者がいれば、ほぼほぼ成功した者もいた。
彼らのことを思うに、思いと行動の裏には時代背景や同時代体験というものがありそうなのだ。
それも、そのなかでもがき、苦しみ、何かを得て生涯の道を決めるような。
そういう世代だったのだ。


冒頭に書いたように、現在まで続く立派な会社や学校であれば当時の創始者・創設者の情熱や倫理観が今にまで引き継がれているかと思うと、ほとんどそうではない。
むしろ文言の意味が取り違えられたりしていて、いまやたいてい骨抜きとなっている。
とりわけ顕著なのは、その中に込められた情熱と使命感と倫理観が消えうせていること。
組織ブランディング(ingをつけたのは、ブランドがある状態を維持すること、という意味です)には必須のことなのに。
今まで内部統制的に顧みられなかったからこんなことになっているのだが、組織活性という視点から見れば本質的大問題である。
もしかしたら中の人がその変化・退化に気づかないということなのかもしれない。
それをどうするか。
思えば20代の頃からこれは僕の企業や組織、開発された商品のブランディング支援の課題であった。
世代の問題とは思っていなかったけれど、書いていていまそのことに気がついた。



まだ会社員だった2014年から2016年春までのあいだ、僕は熊本県八代郡氷川町にある八火図書館移転に伴う計画に関わることになった。
八火というのは同地出身の光永星郎氏の雅号である。
4代目社長である吉田秀雄氏の死去に伴いその後を継いだ電通5代目社長の日比野恒次社長が氷川町に寄付を行ったことで、同町初めての図書館が建設された。
吉田氏、日比野氏ともに光永氏が初めて採用した大卒社員1期生である。
いわば子飼い、秘蔵っ子であった。
その八火図書館は昭和から平成へと時が経るあいだに建物の老朽化が進み、床は傾き、危険性が指摘さていた。
そのような状況だったので同地に新設される八代市の出張所の中に移転新設されることになり、同じ建物の中にスペースをとって八火ギャラリーが併設されることになった。
郷土の偉人である光永星郎氏の足跡を展示するギャラリー。
なぜか当時の支社長と僕がキュレーションを担当することになった。

株式会社電通の秘書室や広報室と協業するプロジェクトである。
お金にはならないが精神的にはとても重い。

たぶん全国でここだけの現象なのだが、地元氷川町の皆さまはCEDの胸章(Communication Excellence Dentsuの頭文字の社章を赤青の七宝で表したもの・なお、そのような英語表現はないとの指摘もあり、新CI導入の際に廃止された)を見るや挨拶の声をかけていただけるのである。
愛されているのである、光永星郎さんが。
これはしっかりやらないかん。


打ち合わせは東京汐留の本社で行われた。
たか―い汐留のビルの一室に通され、秘書室、広報室、コーポレートなんたらという部署の面々が並ぶ。そのうちのお一人が、当時ウェブで話題になっていた山口周さんがいたセクションの方だった。

いかにも頭の回転が早そうなその女性。
会議が終わったあと、ここぞとばかり「山口周さんって話題ですよね」と声をかけてみた。
すると、
「あー彼の文章は面白いけどハナシ半分くらいに聞いとくくらいでいいと思うわよ」
という答えが返ってきた。

人に流されやすい僕である。
そんなもんかと思って、それ以来、そんなもんとして生きてきた。


あれから約10年。
時は流れて2025年2月7日のことである。
運転手不足による減便でダイヤがガタガタになった熊本電鉄から上熊本駅でJRに乗り換えようとした18時半ころ。

上熊本駅について乗り換え待ち時間が45分もあるという現実に直面する僕。
駅には待合室もコンビニもなく、駅ビル周辺に喫茶店はなく、頼みの駅横スーパーのイートインコーナーも閉まっていて使えない。
しかたなく駅トイレでゆっくりと大をして、
駅舎内で営業していたBOOKOFFの本棚をひやかしていたら、本棚から山口周さんのこの本がおいでおいでをしていた。

古本で220円。

そんなもんかという先入観ができてしまっているが、220円なら心理的障壁も半分以下の低さである。
しかもfacebookでは「○○○と、おじさん」というシリーズをアップしている僕である。
オッサンと見たら手に取らないわけにはいかない。


すみません。
ここまでが非常に長い前振りです。


この本は2018年9月に初版が出版された。
脱稿から出版まで1、2ヶ月はかかるだろうから2018年7月頃の時点の山口周氏の思考である。
現在は2025年。
だから約7年ぐらいのずれを考えながら読むことになる。
当時50代と記述されているのはほぼ僕世代(現在61歳)。
60代は67歳から76歳である。
その「60代」は、いわゆる団塊の世代からその下のしらけ世代。

たまたまその日の朝、ある組織の方とチャットしていて「日本経済の停滞の要因は組織の意思決定者(トップだけとは限らない)に、『考量という概念がない』『周辺環境を客観視できない』『無駄な組織内忖度』という3つ」という話をしていたばかりだった。
その3つは団塊の世代、つまり第一次ベビーブーム世代(現在75歳から84歳前後)の方に顕著に見られる傾向なのだが、その方々のもとでビジネスマンとして育てられた世代、さらにその世代に引き立てられた世代にも含有率が高い。

その波が下の世代に進むにつれ薄まっていってるのは、第二次ベビーブーム世代の出生率が下がり、第三次ベビーブーム世代については霧消してしまっているような、時代の変化である。
しかし薄まっても、各世代に一定数いるのはいるのであり、気を許してはならないのだ。

さて、この本についての書評を見ると「オッサンとして十把一絡げでいうな!」という反応が多いが、本書の中でも再三「世代として全ての人を同一視していない」「取り上げるオッサンは性向のことであって現前の人の話ではない」(「」内は要約)と書かれている。
それでもそういう反応をする人は本書の中でオッサンと分類される人であろう。


Grokに「不機嫌そうなおじさんたちの画像を作って」と言ったらこんなのがでてきた。
少し若めだと思う。


僕は58歳のときに早期退職した。
自分の道を進もうと思ったのだ(カッコええな)。
そのあと個人事業主としていくつかの仕事を並行しつつなんとか生きている。
そのうちの一つは、お声がけをいただき行政の仕事を共同受託(共同企業体を3者で構成)しているもの。
会社を辞めるまでは曲がりなりにも電通の看板を背負っていたわけだが、辞めればただの人である。それで離れていった人も多い。

一方で、付き合いが深くなる方もいる。
この共同企業体のように、それまで外の人だった方々からこのようにお声がけいただくというのはとてもありがたい。
金額的にも人的協力体制という意味でも出資をいただき、事業計画・運営・各事業のディレクションや受託元への折衝まで任されているという大任だ。
それまで知らなかった皆さんとチームを組み、新たな発見や信頼の大切さを、身をもって日々体験する幸せな状況でもある。

「電通さんというと、とっつきにくい感じがするけど眞藤さんには感じないんですよ」とか「おじさんはちょっと嫌だけど眞藤さんなら」。
「なら」のあとに何が続くかは今でも謎だし聞かないでおこうとは思うが、いずれも辞める前後に、今も協業するスタートアップの20代の社員の方から聞いた話。

おじさんに「とっつきにくい人・やすい人」や「プライベートで付き合い人・付き合いたくない人」がいるというのはどういうことなのか。
「とっつきにくい」とは、好き嫌いとかではなく「この人の話は聞けない・聞きたくない・聞こうとも思わない・できれば会いたくない・視界に入らないでほしい」とかいう感じだろうかね。

これを会社を辞めた前後からずっと考えている。
子供の頃からの教育の差だろうか。社会的階級なのか。
あるいは会社の中で第4次性徴的に育つ部分だろうか。
(この場合の「性」はsexではなく「性向」のこと)
とにかくおじさんというものが大きく二分されることがわかった。


上に書いた事業では僕も人を雇う側になった。
雇う側になってわかったのだが、僕自体が会社員時代は本当に失礼な社員で、多くの方にご迷惑をおかけしたことに気がついてきた。誠に、本当にお不快に思われた皆さま、申し訳ありませんでした(東京の旧I&Sと九州のD社界隈の皆さんの方へ向かって低頭)。
で、いま僕が仕事を割り振っている先に若い方・同年代の方・そして年上の方がいる。
そこには性別など関係なく、本書で述べられているオッサン的な人が稀にいて、そういう方にどのように仕事をしてもらおうかと悩んだりするのである。
そーゆーこともちょっぴりあって本書を手に取ったわけだが。


Grokがつくった態度悪いおじさんたち。僕が作ったわけではない。

本書では主に雇われている会社員の人たちへ向けた処方箋が書かれている。
劣化したオッサン世代の上司の方がた(一部例外ありとは思う)の存在によって悩む部下の方向け。
やばい。
これは僕も行いの棚卸しをしないといかんと、思ったところ。


ところで。
副題についている「なぜ一流は三流に牛耳られるのか」について。
この本を手に取ったとき、これは「一流のおじさんたちが頑張っているのに、なぜ社会や組織は三流優勢となって衆愚化していくのか」ということかと思っていた。

大きな間違いであった。

だが。
それこそが、僕が前段の冒頭で書いた組織ブランディングにとって大きな問題である初志の雲散についての疑問への大きな答えの一つとなっていた。

その内容を書いてしまうのは控える。

ややパターナリズムかとも思うが、今般の某テレビ局や某政党や某…(伏せ字645文字)など多くの組織を眺めていると、そらそうなんだろうなあという感想しかない。
読んでいて、全く関係ないけど谷村新司の「天才秀才バカ」を思い出した。
炯眼おそるべし山口周氏。


先述したように、僕は2025年2月7日の18時半ころこの本を手に取った。
それから読み耽ること約2時間45分。
JR鹿児島線上熊本駅大牟田駅間各駅停車と西鉄大牟田線大牟田駅薬院駅間と福岡市営地下鉄3号線薬院駅別府駅間で全体の9割を読み終えた。
そのなかで、この本の54頁の中ごろ。
やや古い慧眼の本として読んでいたのだが
「…、それは2025年ということになります。」という一文が目に飛び込んできた。
イマの話であった。
読みながら思わず「おおおおっ」と声を出してしまった。
この書に手を伸ばしたのは天啓かもしれん。

一気に読み込んだね、この本。文章の切れ味も良かった。

本書のラスト、結論のところはさらに身が引き締まる思いであった。
僕らの世代にも本書のオッサン的な人がいる。
僕らの下の世代にもいる。
先日も30代と思われる「若手」からオッサン的な発言が相次いで目を見開いたことがあった。
阿諛追従という漢字が脳裏に瞬時に浮かぶ気持ち悪い状況だった。
熊本という、幅広い価値観と出会ったり価値観を戦わしたりすることが少ない環境のせいかもしれない。


世の中には「しでかし」という褒められることもあれば「やらかし」という人に迷惑をかけまくることもある。
誰でもその両面は大なり小なりある。
僕としては自らの中に「しでかし」も「やらかし」もあることを自認・反省する毎日である。
それでも前世代に多く見られる「やらかし」について、「やらかし」ているのにそれが当たり前のように振る舞う人はいるし、「やらかし」を自己正当化して済むような社会様式も今もなおある。


この先予想される2つのこと。
それはZ世代、α世代には劣化するオッサン世代感覚がまったくわからないしわかりたくないから、確実に世代間断絶が起こるということである。
それは対立ではなく、切り捨てや無視という形をとる。

もうひとつは先に書いたように20代・30代でもそのような上司がいたら、あるものは過忖度し過適応していくということ。
過適応するとは、そのような行動様式を体得し、周囲の人々とくに自分よりも若いものや弱いものに無理を強要する側に回るということでもある。
そのような人は自分の経験を正当化するしかないので、劣化したオッサン現象が世代を超えて受け継がれることになる。
そこでもクラスター分離が起きる。
世代や組織内適応という問題もあろうが、そうなるかどうかは資質能力として本書で一流二流三流と分類されている人材の質の問題だ。


その質を決定するのは人としての知性、リベラルアーツ(liberal arts)をどれだけ身につけているかという人格形成の深さだ。

算盤とか法律とか商学とかの知識ではなく、人としての倫理・美学までを内包する教養である。知から導かれ経験で磨かれる徳目、倫理、美学、美観を身につけ、日々の判断と行動に生かしているかということである。
ありがたいことに僕が出会ってきた「食えないおっさんたち」は全て、教養豊かな人であった。

学歴は関係ない。

社会に出る時に後見人になっていただいた、当時クレディセゾンの人事部長だった城山忠雄氏の最終学歴は高卒だが僕の一生の師である。その後同社の重役を退任されたあと、セゾングループの金融系の企業の顧問などを務められた。いくつも失敗してきた僕が根本のところで間違わず、大切な方々と共に今を生きているのは城山さんにいただいた言葉のおかげである。

著作を読み続けやっと最晩年にお会いすることができた渡辺京二氏もその著作を読むだけでその深い知と、知に対する謙虚な姿勢に学ぶことができる。

僕より年上であるが故に、若い頃から常に先達としての言葉をいただく株式会社小学館の元取締役でいまは三重県で農業などをされている岩本敏氏も、10年に一度お会いしてお話をするだけで僕の目が開け、これから進むべき未踏の地平が広がる。

新卒で入社した株式会社I&Sの鈴木真人社長も教養豊かな人だった。I&Sの前身である第一広告社が黒字倒産し在京各テレビ局が出資して支える際に日本テレビから送り込まれた逸材である。経営の手腕もさることながら鈴木商店の御曹司としての帝王学、なにより知的教養からスポーツカーのボディのありかたまで、実に知識と想いと行動の幅の広い智の人であった。1988年に日本の宣伝広告に貢献した人に贈られる「日本宣伝賞吉田賞」を受賞している。

Uターン就職で電通の社員になったときの福岡支社長、そのあと電通九州の初代社長になった平田暢夫社長も傑物だった。組織の長として当たり前のことだが支社まで含め250人の社員の名前と顔を全部覚えていた。休日には愛車の三菱パジェロで九州中のゴルフ場で関係者とプレイし、あちらこちらの山に登り、温泉を回っていた。だから各県の方への話題に困ることはない。各地の歴史的背景まで勉強していくから最強の九州知識人であった。

初めて会った電通熊本支社長の澄田理氏は食えないおじさんの筆頭だったが、熊本をどうしていくか、そのなかで熊本支社をどう位置付けどのような機能を付加していくかというビジョンを持った人だった。
またこの会社で初めて直上司となった米村昭洋氏も同じく食えないおじさんだったが、父から氏の営業スタイルの話を聞いた通り、営業の心を形に表す神様のような人だった。いまでも街で当時のクライアントに会うと米村さんは…という話を伺うことがあり最後に「まああんたも頑張んなさい」と締められる。伝説の人である(まだご健在である)。


だが。
そのような人生の教養を感じない組織トップが多くなった。
私たちの社会は大丈夫だろうか。

大丈夫ではない。
それゆえの処方箋は本書に記されている。
処方箋は二つ。
ここには書かないので、ぜひ本書を買って読んでみてほしい。

そのなかの一つがこれから社会を担う層にとってもっとも苦手な分野であることに僕も危機感を抱く。


いま僕は出身高校の高校生や若い社会人が読んだほうがいい本を同窓会の会館に寄付するという活動を行っている。
まだ4、5冊くらい。そんなに多くない。
『黌辞苑』文庫と名付け、本棚の目立つところに置いていただいている。
自己啓発本やビジネス本はない。
学校にまつわる身近な先達の覚醒と成長を行間から読み取る本。
後に続く者のひとりとして、さらに後ろから来て僕なんかを追い越していく多くの若者という、遥かに広がる大地にむけて僕が撒く一粒の麦である。

戦袍日記・克堂佐々先生遺稿・済々黌物語・近代の呪い、あと甲斐弦氏の「熊本士族隊その他」。

僕は日本や日本の一地方である熊本が、これからの多くの人たちにとって暮らしやすい場所になり、熊本から経済が活性し全国へ派生する、そのような夢を描く。
そのためには、前世代の団塊世代のやらかし(一部例外あり)を、整理して、なんとかなる形で次世代に繋ぐ。それが僕ら世代の役割だと考えている。

だが、前世代のやらかしは、無邪気だったり勝手な信念などを動機とするものが多くあり、またそれぞれは「これでこれまでは正解だった」「お前なんかに何がわかる」という自尊心に支えられたりしているので、大変に厄介なのだ。
それでも進めていく。
本書はそのような気持ちを大いに応援してくれるような本であった。

現状を変えていきたい人に、今こそおすすめである。


本来ならnoteのこの回は「台湾大名旅・陳さんと巡った台湾新竹のビーフンと半導体の旅」になるはずだった。
だが刊行から7年弱たったこの本があまりに現実にフィットしていて、その感動を記しておきたく、ついつい先に書いてしまった。
なお山口周さんの最新著作が話題である。書店にも平陳されている。面白いらしいぞ。しらんけど。

(次回こそは新竹のこと書きたい)

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眞藤 隆次
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