しばらく自己を隔離します
よく、自分で決めて、自律するためのアイソレーションというのをしていたのだけれど、自分自身の女らしくある部分を捨ててはならない、という呪縛を拒絶するために、しばらく余り人前に出ないことにする。
パフォーマンスもやめておくと思う。ちょうど、脱腸も寒いせいか痛くなりがちだし。
トキシックな相手から離れるのと、女性的な身体を手放すのは、同じことだと思う。それらは、私のコンフォートゾーンだった。つまり、慣れしていんでいたので、嫌でも辛くても、感覚を麻痺してやり過ごしていれば、それなりに楽しく過ごせた。
むしろ、離れたら生きていけないのではないかと思っていた。でも、一旦離れて振り返ると、自分でも、どうやって我慢できていてのかと、ひいてしまった。そういうやつ。
バインダーを付け始める前、付けるまでに、どんだけ乱れたか。しかし、つけてみてら、驚くほどホッとして二度と脱げないと思った。あの感覚。平らな自分の胸を見て、どれだけ、本来的だと思ったか。
それでも、付けていると締め付けるし苦しいので、しばらくやめて、しかし、やっぱり、また付けた時の、本当にほっとした感覚。生き返るような感覚。再び、胸を張って、颯爽と歩けた時の爽快感。
男性は、明らかに自分の身体より大きい服を着ていると、試してみて分かり、そういう服を着ていれば、実は別に何も付けなくても、特に大丈夫だと気がついて、本当に楽になった。
しかし、それでも、時々胸を押さえて庇っていることに、泣きたくなっている。それをなるべく意識から遠ざけている。
これまで慣れ親しんでいた身体感覚、身体を使っての相手との関係の持ち方、身体の人への見せ方。それらと、ただ慣れ親しんでいるから、というだけで、付き合うのを完全に止める。
そういう自分の取り組みを、自分で泣きながらプロセスして、自分で認めようとしている、そういう時の気持ちを、なるべく邪魔されたくないので、自分の身体も、その中の自分のことも、自分の気持ちも、外の世界から、しばらく隔離します。