私は数学ができない
私は数学ができない。算数ですら危うい。もちろん大学は文系で、保育の道へ進んでいる。この書き出しにすると「やはり保育士は物事を定量的(数値や数量で判断すること)に見ることができない低脳な人間だ」と思われてしまいそうだが、これは私個人のnoteであり、全保育士がそうでないことは初めに示しておきたい。今回は私の体験を元に、これからの教育はどう在るべきか考えていく。
なぜ私は数学ができないのか
「できない」と表現するか「苦手」と表現するか悩んだが、あえて"できるできない"で評価をしてみた。これは学校教育に対する違和感を表すためである。決して全否定するわけではないが、私をはじめとする多くの人の体験を思うと、学校教育の在り方は考え直していく必要があるように思っている。
基本的に私は「だいたいの計算」ができない。例えば、何かの調査票を見ていて"全体の◯%"と書かれていても「だいたい何人に1人なのか」が分からない。単純な数字の計算でも、例えば295+153となると、大抵の人は「300と150にして答えから2を引く」と考えるようだが、私はまず筆算が頭に浮かぶ。一の位から足し始めるので、数字が大きくなればなるほど、また掛け算になると余計に、途中でどこに何の数字があったか分からなくなるのだ。
もちろん今の時代、計算機はスマホに入っているし、エクセルの関数さえ分かれば(関数を暗記する必要すらないが)すぐに答えは出るわけだが、「これくらいの計算頭でできるでしょ」というレベルのことができないわけで、日常生活において困ることが多々あるのである。
一斉型の授業は最適だったのか
「算数ができない」と思ったのは20年ほど前。わたしが小学生だった頃だ。ひとクラスには35名程度の児童がいて、担任が1人前に立ち授業が展開されていた。算数ももちろんそう。大きなコンパスや定規で板書をしてきた様子が思い浮かぶ。
学年が上がるにつれて難易度は増していく。「分からないな」と思っても、授業はどんどん進んでいった。周りの友達が教師に当てられ正解を言うと、「拍手!」のような構図。どんどん自分に自信がなくなっていった。順番で当てられて、答えが分からず、わかりませんとも言えず、沈黙に耐えられなくて泣いたことも記憶に残っている。授業が終わったあとで先生に聞きに行ったこともあったが「できない自分が恥ずかしい」という思いのほうが勝るようになり、行かなくなった。
今思えば、もう少し時間をくれたら、解ける問題もあったかもしれない。一斉に同じ内容を聞き、一斉に問題を解き、ある程度の時間で教師が止め、答えを示すように進めていく。この時間内でスムーズに取り組める子は良かっただろう。ただし、そうでない子は確実に置いていかれる。私は完全に置いていかれる側の児童であった。
そして見かねた母の勧めで小学校4年生から近所の塾に通い始める。
ここの塾は小学生の間は個別指導。それぞれの成熟度に合ったプリントが配布される。「分からない問題は飛ばしていいよ」と言われ、先生が1人1人の机を回る際にその問題の解き方を教えてくれた。この塾のおかげでようやく、学校の授業についていけるようになった。
冬休みや夏休みに少し前に進み、また学校が始まってしばらく経つと先を越され。こんな形で過ぎていったように思う。
個別指導から集団授業への切り替え
そして日々は過ぎ、ごく普通の公立中学校に進学した。結局私の算数に対する苦手意識(成績の悪さも含む)は変わらなかったので、そのまま塾に通い続けていた。
しかしここで、試練が訪れる。中学に進学したことで、これまでの個別指導ではなく集団での授業に切り替わったのだ。
同じ学年の15名程度が一斉に授業を受ける。「分からない人は残って」のようなスタイルであったような気がする。ここでもまた、指定された時間内で問題が解けず、当てられ、答えが分からず泣いた。あっちこっちで算数、数学の授業中に泣いている。こんな状態なのだから、算数や数学が「面白い」と思うはずがない。とにかく憂鬱で、その塾に行くことすら辛くなっていた。
ここからこの塾は辞め、大学生のお姉さんが自宅にきてくれるようになった。母と父が相談したのか、家庭教師をつけてくれたのだ。
家庭教師に救われた中学時代
それからというもの、週に1度、夕方の時間帯に家庭教師が来るようになった。その方は、部活の話、学校のあれこれ、なんでも優しく聴いてくれた。苦手な数学では展開的な単元で使う立体を牛乳パックか何かで作って持ってきてくれたこともあった。
今思えば、本当に熱心に寄り添ってくれた大学生だった。彼女がいたから中学の数学を乗り越えられたことは間違いない。この時の成績は関心意欲態度はA、数学的な見方考え方はCだったが、それでも良かった。そのお姉さんにとってはどうだったか分からないが…。とにかく当てられても答えられるくらいではあった。個別で丁寧に関わってくれた結果であったように思う。
数字を認識する弱さはどこからくるのか
ここで考えたいのは、果たして私が受けてきた一斉型の学校教育は最適だったのかということ…は一度置いておき、幼い私が数字に興味を持った時点で何かアプローチがかかっていたら、ここまで「できない」人間にはならなかった可能性だ。
いわゆるモンテッソーリ教育では「敏感期」と呼ばれるが、子どもが興味関心を向けたその時を逃さず適切な環境を提供することで互いに無理なく伸ばしていくということは可能だろうと思う。これこそが個別最適な学びになるのではないだろうか。
しかしこういった工夫をできなかった親や教師が悪いのか、といわれると恐らくそうではない。特にこの時代の、しかも保育や教育に関わる仕事をしているわけでもない両親がこのようなことを知る機会はなかっただろう。教師も、あれだけの児童、生徒を1人で受けもつとなると、一斉型の授業でないと難しい部分も大きいように思う。当たり前を、当たり前にこなしていただけなのだと思う。
さらに、私自身も「数字」というものを"面白がっていく"土台がなく、分からなくても最後までやってみようとする力が弱かったのかもしれない。
こんな体験からも私の保育観がつくられているが、私が保育所に通う子どもたちに育みたい部分は「土台」の部分である。
歩く計算機のような人
そしてわたしと対照的なのが、わたしのパートナーである。彼は驚くほど暗算が早い。計算が速い方はあたまの中でそろばんを弾いているという話をよく聞くが、彼はそうではないらしい。
よくよく話を聞いてみると、幼いうちからくもんに通っていたそうだ。当時「くもんに通うと計算しかできなくなる」といわれていたようだが、私からすれば計算さえできればその先の人生万々歳だ。私は決して高度な数学を身に付けたかったわけではない。日常生活で困らない程度の算数、数学を身につけたかったのだ。
彼は暗算の速さが仕事にも活きている。定量的に見て判断するスピードも圧倒的に速い。この速さは、わたしが今からどんなに勉強をしても越えることは不可能だと言い切れる。根拠はないが。
これからの教育の在り方とは
おそらく教育の世界を生きている人以外の耳に入ることはほとんどないのだと思うが、数年前から国は「これまでの一斉指導の在り方は変えるべきだ」と訴えており、動き始めている。いうまでもないが、「みんなと同じようにできる人」「言われたことを言われた通りにできる人」はもう今の社会に求められていない。今の社会ですら求められていないのだから、今子どもである人たちが大人になった時代にはさらにクリエイティブな部分が求められる世界になっているかもしれない。
今までの教育が悪いのではない。歴史によって作られたものを否定する必要はない。ただし、時代が変わったことは受け入れていかなければならないだろう。一人一人が自律し、課題を見つけ、他者と協力しながら最後まで粘り強く取り組む。この力を確実につけていくためには、保育現場も教育現場も変わっていく必要がある。
保育では「環境を通した保育」という言葉の元、子どもたち一人一人が夢中になって遊び込めるような環境作りに邁進している。(と、信じたい)学校では、ICTの導入も含め個人が自ら計画を立て、その計画に沿って自ら学びを進められる環境作りをし始めているところもある。
「変わる」というのは簡単ではない。染みついたものはなおのこと。ただし、保育や教育の現場に立っているような、真面目で誠実で人の成長発達を素直に喜べるような人は、マインドが変わればそこからは早いように思う。
まずは「例年通り」から抜け出すことが第一歩なのではないだろうか。
これからの教育はどう変わっていくか、そして変えていけるか、楽しみである。