【Episode 1】東雲を待つ
東雲を待つ
「おはよう」の一言が連れてくる朝を
今日もひとりここで待っている
人と人とをつなぐことば
木と木がつくりだす黒いかげ
車がとなりを通るときの地面のゆれ
生活のすきま
わたしたちの暮らしのそば
すぐ近くに朝はある
今は見えていないだけ
いつか東雲がこのセカイを包み
朝がやってきたそのとき
だれかと「おはよう」と笑い合えるような
そんな場所でありますように
写真について
写真は、水島臨海鉄道栄駅のすぐそばにある「朝」という彫刻作品の一部分です。制作年は1994年、作者は福島道雄さん。
詳しくは、倉敷市のホームページを見てください。
作品について
「地元を舞台に小説書いてみた。」の1本目となる作品が小説でなく詩だという矛盾を抱えてしまってとても困りました。
でも、わたしは「朝」と撮った写真から、小説ではなく詩を書きたい、と思い、『東雲を待つ』を最初の作品にすることに。東雲色というのがまたすごく素敵な色なんです。
東雲色、と聞くとイメージがしづらいかもしれません。
東雲色は、朝焼けの綺麗な赤です。高校文芸部で詩を書いているときに、この色にもきちんと名前があることを知りました。好きな色の一つです。
明けない夜はない、というと月並みな表現になってしまいますが、まあ、そんな感じ。だれのもとにも、平等に朝は来ます。今は暗くても、そのうち明るくなる。だからそんなに気負わずにいこう、という、この作品に目を止めてくださったかたへのメッセージであり、また自分への言葉でもあります。
2020年4月からしばらくの間、家の中に籠っていたわたしは長い長い夜の中にいるような感覚でした。このままずっと夜のままで、朝なんて来ないんじゃないかな――そう思ったことも一度や二度ではなかったと思います。
そんな中で、高梁川志塾に参加することを決めました。
高梁川志塾で、わたしは、人と関わりながら学べることがこんなにも楽しくて、わくわくすることなのか、と思い知らされました。今までの当たり前を少しだけ取り戻せた気がします。
『朝がやってきたそのとき』
その瞬間がいつになるかはわかりません。それでも、いつか必ず訪れるそのときを、多くの人と迎えられるように。そう思いながら書きました。
書き上げてから気づきましたが、おそらく、薄田泣菫の『お早う』という詩になんらかの影響を受けているのかな、と。
お早う
お花はいつも早起で、
水桶さげて井戸にゆき、
與作はいつも晏起で、
草籠負うて野へ出ます。
通りすがりの榛の木の
榛の木かげで逢ふ時は、
二人はいつもお早うと、
會釋しあうて行きまする。
引用は青空文庫から。
声に出して読みたい日本語。
薄田泣菫の詩はまさしくそんな感じだと思います。
地元、というと、薄田泣菫は切っても切り離せない詩人だと思っています。いつかメインになって、小説に登場するかもしれません。