当たり前を崩す、アートの世界
「アート作品をみてもよくわからない」、「自分には芸術を理解する感性がない」と苦手意識をもっていませんか?
確かに、「この作品のテーマはこれだ!」と自信をもっていえない、難解なアートもありますよね。
時計がふにゃふにゃに溶けている絵や、目は正面なのに鼻は横から見た形になって一体どの方向からみた顔なのかわからない絵をみて、「なんだこれ」「なぜ?」となった経験は誰しもあるのではないでしょうか。
そんな違和感や疑問を抱く時間を与えてくれるのも、アートの魅力の一つ。
「どうして私は疑問を抱いたのか」を紐解いていくと、そこには自分が無意識に“当たり前”と思っていたことがあります。
アートは特別なものではなく、私たちの日常生活にある“常識”や“当たり前”を問い直してくる存在でもあるんです。
アートのひとつの楽しみ方を知ることで、自分でも気づかなかった心の内や、忘れていた記憶を思い起こすきっかけになるかもしれません。
■不便で自由な世界を思い出すアート体験
(筆者撮影:岐阜県 養老天命反転地にて)
岐阜県にある養老天命反転地は、奇妙な建物が連なる体験型アートの場所です。
写真の通り、一歩入ればもう垂直に立つことを許されないほどに足元も天井も歪んでいて、よろけて手をつこうとした壁さえも斜めになっています。
「床と体は垂直関係にある」「天井と床は平行になっている」という常識にとらわれていると、すぐにバランスを失ってしまう空間。
頼れるのは自分の身体感覚だけなのに、歪んでいるのは建物なのか自分の感覚なのか。
進めば進むほどわけが分からなくなって、このアンバランスさにどこまで耐えられるか試されている気になってくるのです。
(筆者撮影:岐阜県 養老天命反転地にて)
そして少しずつ日常の感覚から離れてきたとき、ふと懐かしさを感じました。
「子どもの頃はもっと、こんな風に斜めの地面を走ったり木に登ったりして自由だったな」
大人になるにつれ、いつのまにか固まった常識。
私は過ごしやすい空間を自分で選んで並べては、それが“当たり前”だと思い込んでいました。
養老天命反転地で私が経験したように、アートは世界の捉え方をぐらぐらと崩してきます。
もしこれを読んでいるあなたも私と同じような体験をしたら……そのときあなたは何を思うのでしょうか。
(筆者撮影:岐阜県 養老天命反転地にて)
■世界の在り方、どう切り取る?
見る人の心を落ち着かせてくれたり、はっとさせられるような問題提起だったり。アートは“当たり前”の枠からはみ出し、時には思ってもいなかったような形で目の前に現れ、「なぜ?」という疑問や「なんだこれ」という違和感を与えてくる存在でもあります。
自分にとっての“当たり前”は、物事のたった一面にすぎないのかもしれない、と思った私自身の体験とアート作品をひとつご紹介します。
(筆者撮影:2013年 東京都現代美術館『うさぎスマッシュ展』)
『考えるうさぎ』というタイトルのこの作品。
うさぎが座っている丸太、よく見ると女性の顔がついているのがわかるでしょうか。うさぎは身長190cmはありそうな体格で、足元は土がついたように汚れています。
手足もなく仰向けに横たわる女性、それに腰掛ける大柄で汚れたうさぎ。丸太の右側からは小さなリスが飛び出している。
この作品を説明する言葉はタイトルしかないのに、何か訴えかけられているような気持ちになりませんか?
私は『考えるうさぎ』を目の前にしたとき、自分の中のうさぎのイメージとあまりにも違うことに違和感を覚えました。小さい頃に絵本でみたかわいらしいうさぎとは違う、大きくて汚れたうさぎ。
私が知ってるうさぎは、もふもふしてかわいい。
月で餅をついてる。不思議の国へ誘う。パイにされて食べられる。
……と考えているうちに、私は動物実験のことを思い出しました。
化粧品の安全性テストのために、うさぎの首を動かないように固定し、目に薬品を垂らして何日で腐るかをみるという実験です。あまりにもショックな内容、でもたった1 例にすぎないであろう事実。
かわいいかわいいと撫でながら、犠牲の上に腰かけているのは、私の方だと。
目をそらしてはいけないと、『考えるうさぎ』に訴えかけられているようでした。
もしかしたら作者は、まったく違うメッセージを伝えたかったのかもしれません。
しかし私の中には違和感が生まれ、動物実験のことを思い出し、今は僅かな抵抗として動物実験を行っていないメーカーの化粧品を使うようになりました。
うさぎはかわいらしさの他に、犠牲や繁殖を表す存在でもあります。
世界をあらゆる形で切り取って、考えを導くこともアートの力といえます。
多面的に捉えたいと心では思っていても、どうしても一方向からしか物事を見ていないときや、大事な一面を見逃しているときもありますよね。私たちは世界のことをどれくらい理解しているのでしょう。
■「なんだこれ」と立ち止まること
アートが美しいだけではないことを知ってもらえたでしょうか。
世界の見方を問い直してくるようなアート。
言葉で表現するのは難しい感情になることや、何を表現し、伝えようとしているのかよくわからない作品に出会うことも多いです。
でも、よくわからないままでもいいんです。
「なんだこれ」と少し立ち止まること自体が大切なんだろうと思っています。
だって、人生自体よくわからないことだらけだから。
意味や答えは探さなくてもいい。
美しいものを観て癒されたり、自分の感覚に共鳴する部分をみつけたりするのもアートの楽しみですが、頭の中を疑問でいっぱいにすることもアートのもう一つの楽しみ方だと私は思います。
ちょっと美術館まで、常識を崩しにいきませんか?
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