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令和6年読書の記録 中島京子『小さいおうち』

#読書感想文

 昭和初期、女中奉公に出た少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに"恋愛事件"の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきて。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。

↑文庫版巻末紹介文引用

 何がきっかけだったか忘れたんですが、数年前にはじめて読んで以来、八月になると読み返したくなる本で、今年も八月に読み始めたのですが、気づけばこんな年の瀬になってしまいました。読書ってどうしても一番目の娯楽にならないですよね。めちゃくちゃ読書が好きですけど、飲み会のお誘いを読書したいからって断らないし、それが例え一人飲みでも、そっちを優先させてしまうくらいの読書好きです。

 たぶん今回で『小さいおうち』を読むのは三回目なんですけど、今回がいちばん泣けました。途中自分でも引いてしまうくらいにボロボロ泣きながら読んでいました。
 奥様と旦那様のすれ違い、件の「恋愛事件」、ぼっちゃんがだんだん「お国のために」的思想に染まっていく様、タキが奥様を思う気持ち、スパイ容疑で捕まってしまったぼっちゃんの友達のお父さん、物語のあらゆる要素がどういうわけか、むしょうに今回は私を泣かせにきておりました。理由はわからん。
 別に共感するわけでもないんですけど、でも、どの人物に対しても感情移入してしまいました。それってたぶん、描写がものすごく上手なんですよね。ほんと素晴らしい小説です。

 途中、タキの前の奉公先の先生の言葉がクローズアップされていて、それはタキとは別の女中さんの話。
 その女中のご主人様は学者で、ご主人様のために、お友達の原稿を暖炉で焼いてしまったんです。この女中は、なにもわからずお友達の大切な原稿を焼いてしまったのではなく、ご主人様の立身出世を願う心から、率先してカタキにあたるお友達の原稿を焼き、自ら罪を被ったというわけで。
 賢い女中とは、そういうところまで気が回るんだよ、というような話だったと思いますが、私はこのエピソードを読み、じゃりン子チエのテツを思い出しました。

 テツは「押し出しの強い女はあかん」とチエに説き、自分から「天ぷらうどんを食べよう」と男をリードするような女ではダメで、直接そうは言わずにうまいこと嫌味なくそっちへ持っていく女がええ女や、というようなことを、確かそのようなことを言うくだりがあったんですけど、要は賢い女中の条件もそれと同じで、「察すること」ができるのが「賢い女である」とするという点で、学者の先生もテツも同じであるのが面白い。

 昔ながらの「理想の女性像」にはそういう美しさが含まれていたのでしょうね。
 私は学生時代にお付き合いしていた女性にテツのエピソードを聞かせ、僕もそういう女の人がいいと思うと言ったら割とガチめにキレられました。
 あの頃、なぜそんなに怒るのか、わからなかったのですが、いまならそれがよくわかるし、ほんまにそんなアホなこと、よく言えたもんやな、と軽く当時の自分を軽蔑します。
 若かりし頃の自分を軽蔑できるようでなければいけませんよね。

 こうやって感覚が大人になるにつれて変わっていくからこそ、同じ物語を読んでも感じ方が変わるのでしょう。
 いまのところ、私は幸い、人間として真っ当に真っ当に変わっているように思うし、それゆえに『小さいおうち』を読んで号泣したのだと思います。

 しかし、このままでいいのだと思った瞬間、人間というのは、少なくとも私という人間は、すぐに軽蔑の対象に成り下がりますからね。常に変わっていこうとしないと。身の回りにいるカッコいい大人がみんなそういう風に生きているかはわからないですが、身の回りのカッコ悪い大人はみんな変わろうとしていません。

 何年後かにもう一度、『小さいおうち』を読んだとき、私はどんな感想を抱くのだろうか。

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#中島京子 #小さいおうち

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