読書の記録 三木那由他『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』
朝起きて夜寝るまでの間のどこかのタイミングで、たいていの場合、私は誰かと会話しています。家族や職場の同僚、取引先の偉い人、友人、コンビニの店員さん、その他、いろんな人と特に何か考えることなく会話をしています。
会話を哲学するなんて言われてもな〜と読む前は思っていたのですが、会話を哲学するのがこんなに面白いことなのかと読み終えた今、私、少々興奮しております。この興奮を醒めやらないうちに誰かに伝えたいという思い半分、この興奮のあるままではちゃんと伝えることはできないのではないかという思い半分。
この本には「会話」には「コミュニケーション」と「マニピュレーション」があるのではないかと書かれています。私は会話とは「コミュニケーション」だと思っていたので「マニピュレーションって何やねん」と突っ込んでみたわけですが、著者によれば、「コミュニケーション」は「発言を通じて話し手と聞き手のあいだで約束事を構築していくような営み」で、「マニピュレーション」は「発言を通じて話し手が聞き手の心理や行動を操ろうとする営み」らしい。これは本書の「はじめに」に書いてあります。この説明だけでは、わかったようなわからんような、ですが、そりゃあ、「はじめに」に書かれていることだけで全体を理解しようとしても無理があるわけでして、「はじめに」の後、第一章でまず「コミュニケーション」と「マニピュレーション」て何やねん、というところを説明してくださり、第二章から第五章で「コミュニケーション」のさまざまな形、第六章と第七章では、なんかよくわからない「マニピュレーション」について、それが会話のなかでいかに展開されるかを論じています。っていうことは、概ね「はじめに」に書いてあります。
『うる星やつら』『ONE PIECE』『同志少女よ、敵を撃て』『オセロー』『ポケモン不思議のダンジョン救助隊DX』ほか、小説や漫画、ゲームなどあらゆるフィクション作品の会話を例に引きつつ、コミュニケーションとマニピュレーションの形を紹介しているので、紹介に使われている作品を読みたくなります。これを読んで以来、ヤマシタトモコさんの『違国日記』と鎌谷悠希さんの『しまなみ誰そ彼』が読みたくてしゃあないんですが、どこの書店に行っても取り扱っておらん!あと、アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』の会話を例に引いた箇所はネタバレを含むそうなので読み飛ばしたから、近いうちにちゃんと読んでから読みたい。
『違国日記』の女子2人の会話で片方が「初カレができたら最初に言おうね」という約束が成立していたはずなのに、片方がレズビアンであり、この約束は片方に「同性の恋人ができるという可能性」がまったく想像されていなかった、というくだりを読み、「これ、日本国憲法の同性婚問題と同じやん!」と思いました。
コミュニケーションでは互いに「約束事」が形成されますが、マニピュレーションでは発言者が巧みに「約束」を避け、何かしら問題が起きた際の責任を回避できるようにしている場合がある、というようなことも書かれてあり、これについては、現実においても、「ああ、あのおっさん、いっつもこれやってるわ、、、」という例がたくさん思い浮かび辟易としました。責任を回避しようとしていたことを指摘されてそれすら否定するという処世術を身につけたおっさんたち、言ってることが遠回しだったり回りくどかったり、本質を絶妙にはずしてたり、ああいうのって、やっぱり意図的だったんだな〜と感心しつつ、がっかりしつつ。これまでなんとなく「うっとうしいこと言うてるけどとにかくこの人は何よりも責任を取らないことを第一としているんだな」と感じていた会話のテクニックの裏側を理解し、それはそれで「なかなか上手いことやるもんだ。僕にはとてもマネできないな」と思ってしまった。
『オセロー』の将軍?の嫉妬を掻き立てるやり方なんかは、貂蟬を使って呂布と董卓の仲を引き裂いた王允も同じようなことをやってたよな〜と、改めて横山光輝『三国志』のことを思い出したりもしました。面白いです!
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