いとしの梅子にいつまでも変わらぬ愛を
我が家に梅子がやってきました。梅子my love so sweet。見た目は前から知っておりましたが、その肌触りは触れてみないとわかりません。梅子のそれは一葉のそれとは異なり、さらさらしているように思いました。柴三郎と栄一も同じ肌触りなのでしょうか。まがりなりにも人の名で呼ぶものですから、できることなら一枚一枚に異なる肌触りがあってほしいし、一枚一枚、表情が違っていてほしいのですが、そんなことをすれば偽札が世に蔓延するでしょう。残念ですが、梅子は未来永劫、何回生まれ変わろうとも今日の梅子のままなのだ。
いまは梅子を珍しがっており、なんだったら私は今、今後手に入れるたびに何枚目の梅子かをカウントしていこうとすら思っており、できれば柴三郎と栄一についても同じことをしたいと思っているのですが、年を経るごとに、むしろ諭吉と一葉と英世のほうが珍しくなるはずであり、そうであるなら、むしろ、今後は英世と一葉と諭吉を保存しておかねばならないはずなのに目新しいものに目は移ろいがちであります。
一番身近な相手を他人の目の中でうぬぼれてた
サザンオールスターズ の名曲「逢いたくなった時に君はここにいない」の一節です。身近にいる大切なものの大切さは当たり前になってしまうものなのです。
近いうちに柴三郎と栄一も手にするでしょう。最初のうちは手にするたびにテンションが上がるのですが、だんだん目新しくもなくなり、当たり前に出合うようになると、途端に旧札が愛おしくなるのです。そうなる前に、英世と一葉と諭吉はせめて一枚ずつ置いておこうと思うのですが、既に我が家からは一葉が消えてしまっています。近いうちに出合えるとよいのですが。そういえば、稲造を見なくなって久しい。我が家には一葉もいなければ稲造もいない。逢いたくなった時に君はここにいない。
稲造はいませんが、使い勝手が悪いことでおなじみの二千円札と、十数年前、たまたま京都駅のコンビニでお釣りでもらった伊藤博文は保管しております。
そういえば新五百円玉も出はじめた頃は大事にしていたのですが、いまやどっちが新でどっちが旧かもよくわかりません。梅子のことはいつまで大事にできるだろうか。いつまでも変わらぬ愛を君に届けてあげたい。
#日記 #コラム #エッセイ
#津田梅子 #新紙幣 #涌井慎 #蠱惑暇
#こわくいとま
蠱惑暇(こわくいとま)こと涌井慎の著書『1人目の客』と1人目の客Tシャツは是非ウェブショップ「暇書房」にてお買い求めください。
8月12日(月・休)に西院陰陽(ネガポジ)にて開催する「涌井大宴会mini(仮)」でも販売します。よろしければご来場ください。
というわけで、暇書房のウェブサイトは↓