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短編小説

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タイトルの通りです。短編小説を集めています。
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短編小説『出雲路橋のオオサンショウウオくん』

短編小説『出雲路橋のオオサンショウウオくん』

 その姿を見たのは一度きりである。
 賀茂川に架かる出雲路橋の少し北、コロナ禍にベランダで晩酌する用に買った小さい折り畳み椅子を川縁にセットし、俺はいつものようにポケットラジオで極ステを聴きながら日本酒をきめていた。酒のことを「きめる」なんて言うのをカッコいいと思っているわけではないが、若い頃にはそういう尖り方が流行っており、当時から使い続けていたら癖みたいになってしまっただけだ。

 前の日は大

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短編小説『俳句アバージン』

短編小説『俳句アバージン』

 十九時を過ぎてもまだ明るい。商店街の西の入口に強烈な西日が射し込み、通行人の個性はすべて影となって消えてしまう。
 僕の後ろにある人たちからは僕もあんな風に僕ではなくなっているんだろう。
 僕だとわかったとて関心のない人がほとんどである。我が家からいちばん近い商店街とはいえ、このあたりは学区もちがうし同級生に会うことはない。
 保育園はこっちのほうにあったから、時折この商店街では、もう名前も忘れ

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犬を飼っている富豪の話

犬を飼っている富豪の話

 信州の山奥にその家はある。
 界隈では有名な富豪の家であり、代々どえらいでっかい犬を飼っている。
 現存する資料で確認できるのは元禄以降のことであるが、おそらくそれ以前からもどえらいでっかい犬を飼い続けていたらしい、というのは口伝により現在まで語り継がれていることである。
 かつて、この界隈では大きな犬を飼うことがステータスになっている時代があった。令和を生きる昭和の生き残りたる読者であれば、か

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短編小説 へたくそなトランペット

短編小説 へたくそなトランペット

 十四年ほど前の秋の夜だったと思います。ABC放送のビルの隣の大きな川、あるでしょう。あの川の畔でトランペットの練習をしているおじさんがいたんです。きらきら星だったと思うんですけど、とにかく調子っぱずれだったから確証はありません。ルイ・アームストロングのこの素晴らしき世界だったのかも。サッチモの声で聴かず旋律だけだったらきらきら星に聞こえないこともないですよね。なんにせよ下手くそでした。でも、それ

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舌打ち

舌打ち

 先日、四条室町にあるSUINA室町という商業施設から外に出ようとしたところ、前にものすごくゆっくりと歩く若者がいました。後ろ姿だけでもなんとなく年齢が判別できるのは、あれは何故なんでしょうかね。ずいぶんのろのろと歩いており、それなりに大きな体をしておられるうえに左にも右にも寄らず、真ん中を歩いてらっしゃったため、抜くに抜けず、困っておりましたところ、よくよく見てみると、スマートフォンを触りながら

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道路交通情報の女

道路交通情報の女

●ため息をつきながら登場

疲れた。ほんまにしんどい。
もう全然勝たへんやん、西武。
どういうことやねん。ほんまに。
強いから好きになったのに。35年前。

いまから35年前、
私はこの道路交通情報を
ラジオリスナーの皆さんに
伝える仕事を始めました。

私、この仕事は
リスナーの皆さんの
命を預かる仕事やと思ってます。
私たちの伝える道路交通情報に
少しでも間違いがあったら、
それがドライバーの

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短編ポテトチップス小説2:のりしお

短編ポテトチップス小説2:のりしお

 仕方ないが半分、なんでやねんが半分。本当はなんでやねんがほとんどだけど、これまでにも似たようなことが何度もあった。いちいち怒っていたら疲れるだけだからあきらめることにしている。若い頃はもっと食ってかかった気もするけど演出の田宮さんとも、もう長い付き合いだから言わんとしていることはわかるし、いくらあたしが何を主張してもこの人が変わることはないことも知っている。はあ。聞こえるようにため息をつくくらい

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短編ポテトチップス小説1:うすしお

短編ポテトチップス小説1:うすしお

 はじめてのキスの味がどうだとか、幼い頃にテレビで話している人がいて、それがバラエティ番組だったのか、ドラマだったのか、コマーシャルのなかでだったのか、はたまたアニメだったのか、なんにも覚えていないのだけど、いちごの味とかレモンの味とか、そんな答えだったと記憶していて、今にして思えばそれは、夏祭りでかき氷を食べたあとにキスをしたからなのではないかと思う。ブルーハワイの味と答えた人はいなかったけど。

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鉄籠日記

鉄籠日記

 松竹撮影所で収録があったのが日曜のことで、その日は雨だったのだが、雨程度のことでは収録は流れないから僕は収録へ向かう。小雨なら傘は要らないんだけど小雨以上雨未満の雨なら傘が要る。大雨小雨というけれど、多雨少雨の間違いではないのかと思う。ボーリング球くらいの大きさの雨がのっそのっそと降ってきたかと思ったら電柱にぶつかってパシャンと弾け、そこから割と大粒の雨が僕を打ってくるのを想像してみる。雨が大き

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連作短編小説『ワンダフルトゥナイト』第7話

連作短編小説『ワンダフルトゥナイト』第7話

「昨日、詩をかいたんだけど」
「しってポエムの詩?」
「ほかにある?」
「うーん。die、city、Mr.、teacher、Samurai、history、ほかにもいろいろあるんじゃない?」
「でもかくのはポエムの詩だけでしょう」
「でもほら、例えばdieの死を題材にした小説をかくのなら死をかくといえるし、都市の景色を絵で描いたらそれも市をかいたといえるでしょ」
「確かにそうだけどそのへんの可能性

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短編小説『水谷さん』

短編小説『水谷さん』

「奥井も気づいてたよな」
「ああ、水谷さんでしょ」
 先生が水原一平のことをずっと水谷さんと言っているのを俺とサトシは最後まで訂正できずにいた。
「俺、学生の頃に居酒屋でアルバイトしててさ」
 先生の背中を眺めながら俺はサトシに話しかける。
「焼酎とか日本酒って読み方が難しいやつがあるじゃない。神様の神に河でなんて読むか知ってる?」
「かんのこでしょ」
「そう、かんのこ。なんだけど、当時けっこうな

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連作短編小説『ワンダフルトゥナイト』第6話

連作短編小説『ワンダフルトゥナイト』第6話

「ツツジって漢字でどう書くか知ってる?」
「知ってるよ、躑躅でしょ?」
「いや、それならあたしだって簡単に書けるわ。躑躅。ほら」
「じゃあ、いいじゃないそれで」
「よくない。ちゃんと書かないとどんどん馬鹿になっちゃうよ」
「躑躅って書けなくても馬鹿にはならないよ」
「でも書けるに越したことはないでしょ」
「いいよ別に。躑躅って変換してくれるんだから」
「でもちゃんと書けておきたいって思わない?」

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連作短編小説『ワンダフルトゥナイト』第5話

連作短編小説『ワンダフルトゥナイト』第5話

「それでロールプレイングゲームなんだけどさ」
「またその話?」
「いや、レイちゃんが話しはじめたことだから」
「何の話だったかしら」
「俺は知らないよ。知らないけど途中で終わっちゃってるから気になるだけで」
「あー、そうそう、それでわかっちゃったんだ」
「何が」
「思い出した。この話をしていて、男と女って長いこと付き合ってるともうお互いがお互いに関心を持たなくなるってことがあるよねってあたしが言っ

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サミュエルLジャクソンの一件

サミュエルLジャクソンの一件

 22時過ぎ、新宿着。
 せっかくなので夜の新宿の空気を味わうべく、チェックインを済ませてから彼の有名な新宿ゴールデン街にでも行ったろかい、と歩を進めると今夜はやたら、客引きに声を掛けられる。三人ほどのおじさんたちをあしらい、ひたすら歩くと今度は「先生!先生!」と呼び止められるので文豪気取りの俺が振り向けば、2メートル近くあるサミュエルLジャクソンみたいな黒人が満面に笑みを浮かべ俺が振り向くのを待

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