工作舎の隠れ推し本#08 異なるものへの怖れ 『犬人怪物の神話』
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エリアーデの弟子がひもとく怪物の正体
中世ヨーロッパでは、未知なる辺境の地に怪物が棲むとされた。
一つ目の巨人(キュクロプス)、無頭人(ブレミーズ)、大きな一本足の種族(スキアポデス)など怪物たちの中に、頭が犬の種族もいた。それが本書でとりあげる犬人怪物=ドッグマン(キュノケファロス)だ。犬人怪物は、古代ローマ時代のプリニウスの『博物誌』、14世紀のジョン・マンディヴィル『東方旅行記』をはじめ、さまざまな書物で扱われた。
著者ホワイトは、ヨーロッパに伝わる犬頭の聖人に加え、インドの犬食い族、中国の犬祖神話も犬人怪物として、次々と神話を挙げる。すると犬人怪物たちの住処として、ヨーロッパからみた東方、インドでは北方、中国では西域、つまり中央アジアがクローズアップされてくる。ヨーロッパが恐れたフン族、中国が戦った匈奴やモンゴル族など遊牧民族が駆け抜けた地だ。
この犬頭人伝承に強い影響を与えたのは、『アレクサンドロス大王伝説』だという。ヘレニズムの英雄が蛮族を封じ込めたとする伝記に尾鰭がつき、イスラームに受容され、そしてさまざまな物語群となっていった。この物語で犬頭人は好戦的で、時には食人も行う巨人族で、女戦士アマゾン族と暮らしたとされた。
中央アジア系民族の多くが一妻多夫制をとり、ヨーロッパ、インド、中国よりも女性が社会で重要な役割を担っていたという習俗が、女性支配の国、「女人国」と名指しされた理由だろうと推測する。
そして、中央アジア系民族は始祖が牡犬(あるいは牡狼)と人間の女との間に生まれたという犬祖伝説を広く持っていた。「女人国」の配偶者たる男たちは、残虐で無法な未開人で、事実「文明国たる」ヨーロッパ、インド、中国を侵略した。それがアマゾン族と犬人族の話へと変容したという。
だが読み進めると一筋縄ではないことが明かされる。犬祖伝説をもつ民族は中央アジアに限らないのだ。東北の満州や南部の湖南省の伝説も、中央アジアが舞台と歪曲された。インドでもヨーロッパでも同じだった。犬人怪物の住処は、侵入と征服を行う異民族の方向に重ね、時代とともに変化した。翻って現代(原書刊行1991年)、アメリカ大統領はリビアのカダフィを「中東の狂犬」と言い放った(私たちはその後の彼の運命を知っている。そしてあの時代以上に混沌とした世界情勢も)。そうレッテルを貼るのは、犬人怪物を作り出した古代や中世の人々と変わらない、と締めくくる。
さすが著者ホワイトは、宗教学者ミルチャ・エリアーデの下で学んだだけのことはある考察力だ(注1)。
本書邦訳は2001年2月。工作舎ではその前の月に『怪奇鳥獣図巻』を刊行していた。これは『山海経』を江戸時代に描いた図版集であり、『山海経』も本書に登場する中国側の重要な怪物資料だ。だが、愛らしい怪物の絵も、本書を読んだ後では異なる目で見てしまうだろう。(岩下)
著者紹介
書籍情報
『犬人怪物の神話』
デイヴィッド・ゴードン・ホワイト 金 利光=訳
●本体4800円+税 ●A5判上製 420頁
2001.3刊行
本書目次
第1章 怪物とはつねに他者(ひと)のこと
第2章 忌まわしき者から犬頭の聖者へ
第3章 犬頭人種族の群れ
第4章 聖仙ヴィシュヴァーミトラと犬食い族
第5章 古代と中世インドにおける犬食い族
第6章 犬人族が渦巻く中央アジア
第7章 中国の犬人伝承----槃瓠と犬戎
第8章 古代中国の異民族が織りなす混沌
第9章 他者を認めて共に生きる