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左乳房の手術を受けるだけの話だったのに今は全国の経営者様からご相談を受ける仕事をしてヨットにも乗っています

2013年の夏、左の乳房の腫瘤を取り除く手術を受けました。その前後から現在までに起きたことは、すべてが少しずつかかわりを持ちながら、自分の生活を大きく変えました。そもそも、大学院まで通わせてもらいながら、体調不良で通常の就職ができず、フリーランスとして地味に社会に出た私でしたが、その私の生活が大きく変わった2013年から現在までに、私の身に起きたことを紹介します。

左乳房の腫瘤を手術で取り除くことに 2013年7月

事の起こりは2013年4月、左の乳房のエコー検査で小さな腫瘤が見つかったことでした。私は乳腺症で2006年から定期的にエコー検査を受けており(乳腺症が強くマンモグラフィでは何もわからない状態)、これまで大きな問題は見つかっていませんでした。初めて何かが見つかったこと驚きはしましたが「早めに手術して、すっきりしたい」という希望を主治医に伝えました。

乳腺専門医も含めて、何度か検査をしたり話し合ったりした結果、7月に手術を受けることが決まりました。
手術は全身麻酔で行われます。幼いころから不整脈を指摘されている私は
「この際だから、循環器の先生にも診ていただいて、手術に耐えられるというお墨付きをもらったほうがいいだろう」
という話になりました。

こうして循環器の先生にも診察をお願いしたところ、
「手術には耐えられるんで安心してください。ただ、かなりの頻脈が見受けられるので、投薬治療もできますよ。症状が安定すれば、病院に来る回数も減らせますよ」
とお話がありました。私のタイプの不整脈は、あまり治療をしないものだと思っていたので驚き、治療をお願いしました。

こうして、入院と手術はスムーズに済みました。腫瘤も命を脅かす状況ではありませんでした。ただ、入院と相前後してハント症候群による顔面神経麻痺にはなってしまいました。

退院後の生活 2014年にかけて

退院後も循環器の先生の治療は続き、乳腺外科では大事になりませんでしたが、消化器外科の主治医の治療は続いていきます。

先生方はアウトドア派で、キャンプやマリンスポーツなどの話を時々してくださいました。私も
「体調も落ち着いたし、顔もおおむね動くようになった。ストレス解消のために体を動かすことがしたいなぁ」
と思うようになりました。

このころ、YouTubeで海外のプロサーファーの方の動画がレコメンドされるようになりました。青い空と大自然の中で、サーフィンに取り組みながら、経済活動も行っている彼らがとても魅力的に見えました。

とはいえ、自動車の免許がない私にとって、サーフィンをするのはかなり難しいでしょう。道具がレンタルできるマリンスポーツを探したり、現在の海がどんな姿をしているのか、海辺まで見に行ったりしました。このころ、ボート免許も取得しています。

大阪市民ヨット教室に参加 2015年夏

循環器の先生は、ディンギーヨット(エンジンがついておらず、風の力だけで進むヨット)に詳しい方でした。私もヨットに乗ってみたいと考えるようになりました。循環器の先生には
「体型として痩せすぎで、ヨットに乗る以前の問題なので、まずは一人前のご飯を食べて下さい」
と言われました。
その後、健康的に体重を増やすことに、しばらく取り組みました。

やがて先生の許可も得られたので、2015年夏、大阪北港ディンギーという団体が主催する「大阪市民ヨット教室」に参加しました。3日間の練習期間を経て、私もレンタルヨットが利用できるようになりました。

ディンギーヨットは、もっと個人主義のスポーツなのだと想像していたのですが、実際にはヨットレースをはじめ様々なイベントに、大勢の人がかかわって運営されています。初心者の私は、未知の世界について知るために、イベントの手伝いをよくしていました。手伝いを通して多くの人とかかわるようになりました。

私は在宅フリーランスで、人とのつながりあまり濃くない環境で過ごしており、自分自身も変化を恐れるタイプの人間でした。ヨットを通して人とかかわり、未知の経験を重ねるにつれて、仕事でも「未知のこともやってみよう」という気持ちが起こりやすくなりました。

スキルシェアサイトへの注目 2016年から2018年

このころ、ココナラやストアカのような、現代の言葉で表現するとスキルシェアサイトが注目され始めました。私はライターとして、編集プロダクションを通して仕事を受けてきたのですが、新しいシステムへの好奇心もあって、登録することにしました。

ここで、執筆能力をそのままスキルとして売り出すこともできたのかもしれません。ただ、新しいことに挑戦してみたいという思いもあったので、執筆活動を通して培ったマーケティング・広報・SEOなどの能力を活かしたパッケージを販売することにしました。

また、自分自身のプロフィールにインパクトを持たせるために、ヨットに乗っている写真を使ったり、現在の仕事には一見関係がない資格(工事担任者、伐木等の業務など)を前面に出したりしました。

この時点では「新しいシステムを利用して、その仕組みを知る」ことが主な目的で、登録したスキルが売れるかどうかはどうでもよいと考えていました。同じような経緯で、講師として登録したサイトもあり、ネットショップも開設しました。電子書籍やペーパーバック本を作って販売もしました。

システムの仕組みを知るという目的は達成されているので、その時点で私は満足して、積極的な売り込みなどもしませんでした。でも、これらのサイトを通して、ウェブサイトの改善やSEOなどのご相談が届くようになりました。

ご相談に対応する以上は、こちらも真剣にマーケティングや広報の勉強をして、アドバイスにはベストを尽くさなければなりません。私は仕事を通して受け身で知識を得ることのほかにも、自分から知識を得るための取り組みを始めました。

起こり始めた変化と現状を変えたい思い 2019年ごろ

このときまで、私の収入の柱は執筆による原稿料でした。そして、ライターの仕事を必要とする人がすぐ近くに住んでいる、ということは滅多にありませんでした。

いっぽうで、SNS運用やウェブサイトの改善、プレスリリースの発行などのコンサルティングを必要とする人は、行きつけの美容院やカフェの方など、意外に身近な場所にもいることがわかりました。
ヨットをはじめとする趣味が同じで、信頼関係がすでにある方から、マーケティング・広報のご相談を受けることも徐々に増えてきました。自分が所属する大阪北港ディンギークラブの広報として、SNSの運用に携わるようにもなりました。

私はライターの仕事が好きでしたが、一本の原稿を仕上げるまでに一定時間が必要となるライターの仕事は体力勝負という面があり、収入もどこかで頭打ちになる可能性が高いのです。マーケティング・広報のコンサルティングで収入を得られるようになると、執筆の仕事に比べて時間の自由がきくようになりました。

机に向かって執筆するだけではなく、もっと様々な方の役に立てる体制を築きたい。そう考えるようになり、執筆の仕事から、コンサルタントとしての仕事へと軸足を移し始めました。

実はこのころ、私がお世話になった乳腺外科の先生が、医師という職業をやめることを知りました。いつも「自分を助けてくれる存在」だと思っていた先生が、違う道を歩み始めたのは寂しいことだけれど、
「自分がどこかで頑張っていれば、その姿を先生が見つけてくれるかもしれない」
と無理やり自分に言い聞かせたことをおぼえています。

コロナ禍での打撃と新しい人生 2020年から2023年ごろ

新型コロナウィルスの流行により、ライターとして自分が携わっていた仕事の多くが失われました。

いっぽうで、それまでオンライン会議システムを導入していなかった企業でもオンラインで業務ができる仕組みが急速に整っていきました。そして、地方の企業と都市部の人材をマッチングし、企業にとって必要な技能を持つ人材が、リモートで業務をサポートするというビジネスマッチングサイトも増えていました。

私が取り組んでいるマーケティング・広報コンサルティングは、リモートでできる部分も多く、地方の企業の方からのニーズも高い分野だったので、人材マッチングサイトを通して仕事をいただけるようになりました。

何社かのお客様との仕事をしながら、自分のスキルが生かせる分野を見極め、自分のポジショニングを確立していきました。
現在は以下のポジショニングを意識しています。このことを言語化できるまで、何度も失敗を繰り返しながら仕事に取組み、苦心惨憺してきました。

・コピーライターやコンテンツプランナーとして企業の情報発信をお手伝いした実績が最近4年で150件以上ある
・遠隔地のお客様のご相談実績が豊富(出張可能、ZOOM, Slack, Chatwork, Messenger使用)
・大規模な企業や中小企業診断士などの資格を持つ先生に比べて、安価な料金を設定している
・学習塾、習い事、パーソナルジム、ダンス教室、鍼灸院のような「一度入会した人に継続して利用してもらうサービス」のご相談を得意としている
・SNSやメールマガジンなど特定の方法の相談だけに対応するのではなく、様々な情報発信の手段について、採用の可否から運営方法まで総合的に相談に対応できる
・ウェブや紙面での情報発信だけでなくイベント・セミナーの開催のご相談にも対応可能である
・研修講師としての経験があるため、社員への広報・マーケティング教育を実施できる

自分の好きなことと仕事の融合への望み 現在

これまで私は、
・いったん社会に出てから看護学校に入学される方のための塾
・地球環境に配慮した素材を使用してリフォームを行う会社
・建物や機械、水中にある設備の点検を、ドローンを使用して人体への負担を少なくしながら行う会社
・子どもの発達特性に合わせた教育やレッスンを行う英語塾・ダンス教室
・就労移行支援施設
・海外で働くことを希望する大人のための英会話スクール
・コロナ禍を経て新規事業に取り組むアパレルブランド
などの事業を、マーケティング・広報の面から支援した経験があります。

また、2005年ごろからメニエール病の方のためにピアカウンセリングをボランティアで行ってきて、その活動に関する本を販売した経験があります。大阪北港ディンギークラブの広報活動も続けてきました。
何よりも、私自身がひどい体調不良で通常の就職ができなかったときに、公的な団体が行うライター養成講座に参加できたことで、かなり救われました。

これらの経験から、SDGs関連の事業に取り組む企業の方へのマーケティング・広報サポートに特化したコンサルティング活動に絞り込んでいきたいという考えがあります。また、民間企業への個別支援も大切にしながら、より多くの方にマーケティング・広報の知識を伝えるセミナーや本の執筆なども検討しています。

さらに、動物園・水族館・博物館のような教育機関でもある施設、そのほか遺跡・史跡に関する広報活動のサポートができるようになりたいとも考えています。このような施設は、私自身が好きでたまらず、何度も訪問している場所でもあります。
「好きだから、守りたい。サポートしたい」という思いのほかにも「未来を担う子どもたちが多くの知識と経験を得られる場所がなくなったら、日本の未来自体が暗くなる」という思いも強いのです。
このような施設について理解を深めるために、放送大学で博物館学についてきちんと学び、理解を深めて行動したいです。

おわりに

以上のように、2013年の夏からさまざまなことが、少しずつかかわりあいながら起こりました。そして、それらの出来事によって全国のお客様から相談を受ける現在の私が出来上がりました。一つひとつの出来事と、かかわってくださった多くのお医者様、ヨット関係の方、私に仕事をさせてくださったお客様に感謝しながら、今後も歩みを進めてまいります。

かげろうプロダクション https://www.kagerou-prod.com/


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河野陽炎|田舎の一人プロダクション
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