『サッカーという名の戦争』を読んで思ったこと
平田竹男さんの『サッカーという名の戦争』を、かなり昔から積ん読しておいたので、ワールドカップサッカーが開催されている間に、読んでみました。平田さんと私は、実は同じ大学出身で、話したこともあります。平田さんは、交渉ごとをまとめるのがうまいとか、タレント的要素があるとか、通商産業省(今は、退官)に入って、すべてやることなすこと「役がつく」という、まさに「役人」です。大学教授を引退後は、国会議員でもやるんじゃないかと思っています。平田さんは、官僚時代も、日本サッカー協会専務理事時代も、早稲田大学スポーツ科学大学院教授時代も、仕事は地味でつまらないものだと思いますよね。民間がやらない、報われない、世の中の雑用をこなしているという感じです。今は、楽天の社外取締役なんかもやってますが、これからの仕事(ex.国会議員とか)が問われる人材だと思います。しかし、国会議員になっても、財務省出身の片山さつきさんでも、そんなに出てこないから、行政実務に精通したタレント的な感じで出てくるんだろうと推測しています。
意外に思ったことは、こと細かいことまで中国が決めてると思うわけですが、意外と中国の影は出てこないということです。大枠だけ、「これとこれとこれは認めるのでやっていいよ」という指示が外務省経由で来て、各業務系官庁が動くということなんだろうと思います。だから、サッカーとかに関して、中国なんかは、ゆっくり出てくるという体裁を取っているのだろうなあと思います。その実際の事務処理の現場を垣間見ることができる貴重な本で、実務で出てくる煩雑な事務処理が垣間見えます。キャリア官僚は、課題山積の部署に短い期間で異動させられるわけです。大変です。平田竹男さんは、官僚出身の人材としては、すごい仕事をやってのけた人だとは思いますが、成果が少ない仕事という枠からは出てないと思いますね。私は、ブログなんかでも、繰り返し言ってるんですが、中央省庁の官僚の人がやる仕事って、コンピューターがやる仕事(技術的という点で)に例えられて、成果が少ないという特徴があるんですよね。しかし、そういう地味な泥臭い仕事をこなすことに適性がある人間が就任していることが多いですよね。中央省庁には中央省庁の適性、都道府県庁には都道府県庁の適性、市役所には市役所の適性がある人が働いていると痛感しています。本書を読むと、サッカーのワールドカップを見る目が変わって、非常に有益な情報をくれる本だと思いました。やはり日本が今回もベスト16敗退で「何かが足りない」と言われてしまうのは、本書を読んで改めて、地理的な理由もあると思いました。ヨーロッパとかは、サッカー強国どうしが、ヨーロッパリーグみたいなもので、たえず、切磋琢磨しながら、高度な密度の濃い本気のゲーム練習ができるのだけれども、日本は、サッカー後進国のアジア地域にある国なので、そういうのができないんですよね。個別に選手をヨーロッパリーグに派遣して、個別に自分を磨かせるしかないというところも弱点としてあると思いました。サッカーって、平田竹男さんとかの尽力もあって、下部組織まですごく組織化されてて、子供にも人気のスポーツで、特殊能力ある子供は、すぐピックアップされるとは思うのですが、そこで、アルゼンチンのメッシやブラジルのネイマールのような「個の力」を持つ世界的なスーパースターが出るかどうかしだいだと思っています。私は、子供に小学校時代に勉強だけじゃなくて、スポーツも2個か3個やってもらいたいと思っていて、サッカーなんか、敏捷性や柔軟性も鍛えるトレーニングなんかもやらされるだろうから、楽しみながら、小学生時代(ゴールデンエイジと言われる)にしか鍛えられない身体能力を鍛えられる、素晴らしいスポーツだと思っています。身体能力を鍛えるということは、脳を鍛えることにもなりますからね。中学とかに入ってから、本来的にやりたかった別のスポーツをやってもいいし、サッカーと掛け持ちしながら、小学生時代に本来的にやりたかったスポーツをやってもいいと思っています。サッカーなんか下手くそでもいいわけです。その所属しているサッカークラブで、最も下手くそでもいいわけです。所属クラブの中で、いちばん下手くそでも、他のメンバーに優越感を与えるという役回りを立派にこなしているわけです。もう会社勤めと近くなってきているじゃないですか。小学生時代に体を鍛えるのが目的ですから・・・。小学生時代には、勉強(学習塾)はもちろんですが、運動系の習い事、芸術系の習い事、自分の他に好きなことの習い事(コンピューターのプログラミングなど)など、習い事で忙しい時間を送ってほしいなあと思っています。