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茶道の先生 ハードル高すぎ問題(茶室編)

自己紹介も途中に、こんなこと書くべきかどうかわかりませんが、
どうしてもいつか言いたかったことを、今日は包み隠さず書いてみよう。

タイトルから不穏な空気が漂いますが…
茶道は先生になるハードルがものすごく高い世界です。
・知識とお点前が身についていること
・茶室を持つこと
・道具を所有していること
など、これらはほんの一部のこと。

先生になることを意識し始めて痛感したのは、
「一代ではどうにもならない」という大きすぎる壁に気づいたこと。
四季折々の表現に、相手に喜んでいただくための道具の揃えとおもてなし、 理想を語れば、茶室を取り囲む美しい庭園のアプローチもほしい。 これらを実現するには莫大な資金と所有するためのスペース、とにかくあらゆるところでお金がかかります。 石油王を配偶者に選ぶか、家元に嫁ぐか、すでにお稽古場を開いているところに生まれるか、その3択しかないんだなと早々に悟りました。

実家に眠っていた茶道具は、帛紗と茶碗と茶筅くらい。
先生目指すのはやっぱり無謀かもしれない、、と思いながらも
"そうじゃない茶道"は果たして成り立たないんだろうか?と考えてみることにしました。

調べていくうちに先生事情にも色々パターンがあることがわかってきた。

・カルチャーセンターの和室を借りる
・畳を使用せず椅子で行うテーブルスタイル茶道
・先生のお茶室を借りる

建築やインテリアへの興味がある方なので、
茶室から学んだ心地よい空間づくりや景色は可能な限り壊したくないのと、
畳に座ってみる道具やお点前が好きなのでそこは残しておきたい。

あと当時は独身で時間を自由に使える分、なるべく平日の仕事終わりや遅い時間のお稽古もフレキシブルにできたらお茶を習ってみたい人もいるのかな?と時間の融通も利かせたい。

となると、前例の条件はどれも当てはまらず、これは茶室を一から自分で作るしかないというところに行き着きました。
(ダサいことはやりたくない、というのも主観でしかないが大事にしている)

正統派ではできないところを、ただやり易く簡素化するんじゃなくて
残すべき美意識と表現方法を工夫して、物足りなさを補えるお茶の稽古場も作れるんじゃないか?と試行錯誤しての自宅でのお稽古場を作りました。

そういった諸々の事情がありまして、
好学茶会のお稽古場は少し変わったお茶室です。

我が家のバリアフリー茶室

そもそも和室じゃないです。
9畳のフローリングに3畳分の置き畳を敷き、亭主と正客・次客までを想定したコンパクトなお茶室。
床の間に見立てたスペースには、現代作家の絵と陶芸家の花器、時には季節にあわせた掛け軸を飾っています、などなど。

あくまで茶室内での動きを想定したお稽古にはなりますが、
制限された空間でも、お茶から学ぶことはたくさんあると3年間お稽古をして感じているので、ひとまずできる範囲でやってみよう!と始めてみて良かったことしかないです。

環境が整ってないから、
道具が全部揃ってないから、

そんな理由でお茶の文化を伝えていく人がどんどん減ったり、
簡素化によって本質的な魅力が半減して習いたい人が減ったり、文化自体廃れていくのはなんだか残念な気持ちでいっぱい。

好学はそんな部分も汲んで、正規ルートではないかもしれないけどこのカルチャーを自分なりに残して伝えていきたいなと細々と活動してます。
今は同じモチベーションやベクトルを向いた先生は誰も周りにいないけど、今後増えていけばお茶の見え方も少しずつ変わるだろうと希望をもって地道に一歩ずつ進んでいる途中です。

これはいくらでも書けそうなテーマだ。笑
今日はここまで。

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