三都市同盟を支えた都市「テツココ」とは何か
アステカ王国=テノチティトラン
このような考えは多くの人が抱いている考えであろう。
実際、義務教育における世界史においてもアステカ王国の首都として紹介され、アステカ=テノチティトランのような考えを持ってしまう。
しかし、三都市の同盟によって形成されたアステカ王国において、このような安直な考えは間違っているといえよう。
今回はアステカ王国の歴史を踏まえて、アステカ王国を支えた大都市「テツココ」について学ぼう。
テツココはアステカ王国において、テノチティトラン、トラコパン(タクバ)と手を組みアステカ王国(三都市同盟)を発足させた都市国家であり、アステカ王国を語るうえで切っても切り離せない都市である。
1350年頃にテツココ地方に勃興したアルコワ人を中心とした都市国家であるテツココは15世紀ごろにはメキシコ盆地にて一定の影響力を持つほどに成長した。しかし、当時メキシコ盆地にて覇権を持っていたアスカポツァルコと敵対し、戦争が起きテツココは征服されてしまった。
またこの当時、テノチティトランはアスカポツァルコ側として戦争に参加した。
その後、アスカポツァルコは自国の権力闘争の末、暴走をはじめテツココ王であるイシュトリルショチトルとテノチティトラン王チマルポポカを暗殺。
この『暴走』を機にテノチティトランとテツココは同盟を組み、アスカポツァルコに戦争を行い(テパネカ戦争)これに勝利。
勝利したこの二国とアスカポツァルコと同じテパネカ人が住まうトラコパンと同盟をすることによって、三都市同盟(エシュカン・トラトロヤン)が成立したのだ。
当時、三都市同盟を成立させたテツココの王はネサワルコヨトル。後に、テノチティトラン王モクテスマ・イルウィカミナとともに『ネサワルコヨトルの大堤防』を建設する賢王である。
ここ数年でぽっと出で誕生したテノチティトランとは違い、古都であったテツココは同盟当初、現在ではアステカ王国の首都といわれるテノチティトランよりも高い影響力を有していた。それは、テツココ湖の治水事業や技術などからもわかるものであろう。
だが、その栄華も偉大なるテツココ王ネサワルコヨトルが没すると少しずつ衰退していく。
テツココの優位性は薄れ、平等であったはずの三都市同盟はテノチティトラン一強となりつつあった。ネサワルコヨトルの後に王位に就いたカカマ王はモクテスマ・ショコヨトル(モクテスマ2世)の甥にあたる人物であり、ついにはテノチティトランンの属国のような立ち位置にまで転落したのだ。
しかし、政治において力を持たなくなったとはいえ、文化においてはそれに当てはまらなかった。古都であるテツココは力を失った後もスペインによる征服まで三都市同盟の文化的中心地として君臨し続け、ネサワルコヨトル宮殿などや巨大な神殿があったその都市は、2~3万人ほどの人口を抱える大国としての威厳を誇示し続けた。
まさしくアステカ王国の右腕として三都市同盟を繁栄に導いた都市であった。
だが、事態は一変する。
それがスペインによるアステカ王国征服である。
当時、テツココはテノチティトランのそばにいた要人の僕のように服従しており、テノチティトラン=アステカ王国としてスペイン人がとらえてしまうほどに、その立場は変化していた。
契機になったのは一般的に『悲しき夜』と呼称される事件においてであろう。これを機にテツココではスペイン側に寝返るものが現れ、テノチティトランは孤立、ついにはテツココは自らの同盟者であったテノチティトランを滅亡へと追いやったのだ。
ここで、テツココの名誉を守るために補足しておこう。
「何故テツココはテノチティトランを裏切ったのか」ということである。
これはそもそも、メソアメリカにおける統治方法に起因する。
メソアメリカにおいて、同盟による勢力圏の拡大は一般的なものであり、諸都市はこの「今熱い勢力に乗っかる」という方法を駆使して都市を維持してきたことがある。都市に存在する集団の利益を最優先とした考え方である。
これは言うなれば、アスカポツァルコに対する戦争においてテノチティトランとテツココに便乗して共に戦った諸都市などがそうであろう。
これは特別珍しいものではなく、メソアメリカの処世術のようなものだったのだ。
これが、アステカ王国を支えた都市国家『テツココ』であった。
この後、テツココも例にもれずスペインによって征服され、植民地となった。しかし、テツココは滅びはしなかった。
現代においても、古都テツココがあった場所にはテツココ市が存在している。スペイン側についたことによって滅ぼされなかったため、現代においてもその影を見ることができるのだ。
また、彼らの英雄であるネサワルコヨトルは今や、メキシコの文化英雄として人気を博し、メキシコ通貨の100ペソに描かれたり、彼の祖国テツココには記念碑と彼の名を関する学校が今なおテツココを、メキシコを見守っているのだ。
2024/2/27 金蔵皇栄
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