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七回忌に想う - いとこへの手紙
はじめに
今日、11月24日は私にとって忘れられない日です。
同い年のいとこが6年前の今日に亡くなり、今日が七回忌となります。
実は、その1週間前には親しい僧侶の友人も亡くし、立て続けに大切な人を失った時期でもありました。
今日は、いとこの思い出を振り返りながら、当時の気持ちや、そこから学んだことをお話しさせていただこうと思います。
幼少期の思い出
母方のいとこで、私の住んでいた場所から20キロほど離れた地域に住んでいました。
正月やお盆、春休みなど、子供の頃はよく親に連れられて遊びに行きました。外遊びが好きで、ハキハキとした性格の持ち主。
ガキ大将までとはいきませんが、物事をはっきりと言える子でした。
私が家の中でゲームをするのが好きだったのとは対照的でしたが、一緒に外で遊んだ思い出は今でも鮮明に残っています。
たとえば、夏休みの暑い日に、近所の森を探検したり、木登りをしたり。
外遊びが好きな彼と、どちらかというと室内派の私。
性格は違えど、不思議と息が合っていました。
高校時代の日々
高校では同じ学校、さらには同じクラスになりました。
小学生の頃ほど親しくはありませんでしたが、クラスメイトとして日常的に交流がありました。
たまに授業の合間に、子供の頃の思い出話で盛り上がったりもしましたね。
忘れられない中学時代の冒険
私にとって最も印象に残っているのは、中学生の時の出来事です。
当時、私は一人で遠出をした経験がほとんどありませんでした。
バスに乗って切符を買うことすら、ドキドキするような田舎の子供でした。
そんな中、映画を見るために宇都宮市に行くことになり、初めて二人でバスに乗って出かけました。
今では当たり前のSuicaやPASMOもない時代。バスの料金表を見ながら、自分の番号の料金を確認し、事前に小銭を用意する...。
そんな些細なことにも緊張していた記憶があります。
思い出の映画館への道のり
映画の時間までの空き時間に、彼は突然、親戚の家に自転車を借りに行くことを提案。
場所も詳しくは分からないまま、アポなしで訪問するという冒険に出ました。
「あの辺りにあるはず」という曖昧な情報だけを頼りに、あちこち迷いながら探し回りました。
当時の私にとって、彼のその行動力は「大人だな」と感じさせるものでした。
今思えば、彼も内心は不安だったのかもしれません。
でも、そんな不安も見せず、強がって私を導いてくれました。
結果的に自転車を借りることができ、市内を巡って楽しい一日を過ごしました。
突然の病との闘い
9年前に結婚し、翌年には出産、マイホームの取得と、順調な人生を歩んでいました。
しかし、その矢先に白血病を発症。免疫不全症候群により、面会謝絶の厳しい闘病生活を送ることになりました。
滅菌室という特殊な部屋での生活を強いられ、外部との接触が著しく制限されました。
それまでやっていた仕事も続けることができず、突然の環境の変化に、さぞかし戸惑いがあったことでしょう。
会えなかった理由
僧侶として、仏教の教えを通じて何か力になりたいと思い、何度か面会を申し出ましたが、最後まで許可はもらえませんでした。
当時は単に衰えた姿を見せたくないからだと思っていました。
しかし今、振り返ると違う理由が見えてきます。
それは、面会者に万が一の事態が起きた際の罪悪感を背負いたくなかったからではないでしょうか。
誰かが面会に来て、それがきっかけで病状が悪化するようなことがあれば、その人が一生後悔を背負うことになる。
そんな状況は避けたかったのかもしれません。
ほとんどの人に会わなかった彼。
それは自分の弱った姿を見せたくないというよりも、誰かに迷惑をかけることへの深い配慮だったのかもしれないと、今になって思うのです。
僧侶としての気づき
今になって思えば、もっと違うアプローチができたのではないかと悔やまれます。
たとえば、直接会えなくても、手紙を書くことはできたはず。
もっと寄り添う言葉をかけることもできたはず。
そんな後悔が、今でも心の中にあります。
相手の立場に立って寄り添うことの大切さを、この経験から学びました。
仏教の知識を伝えることよりも、相手の心に安心を与えられる存在であることが、僧侶として最も重要なことだと気づかされました。
実は、この気づきは今の私の僧侶としての在り方にも大きな影響を与えています。
形式的な教えを説くのではなく、まず相手の気持ちに寄り添うこと。
それが本当の意味での仏教の実践なのだと、彼との別れが教えてくれました。
おわりに
取り留めのない話になってしまいましたが、こうして心の中の引っかかりを吐露する機会を持てたことに感謝しています。
七回忌を迎え、改めて彼との思い出を振り返ることで、新たな気づきも得ることができました。
これからも時々このような本音の話をさせていただくことがあるかと思います。
その時は温かい目で見守っていただければ幸いです。
そして、もし皆さんの中にも似たような経験をされた方がいらっしゃいましたら、この話が少しでも心の支えになれば嬉しく思います。