お悩み相談:目標って立てる意味あるの?
はじめに
みなさん、こんにちは。蓮城院副住職のコウブンです。
今回は、ハスノハというお坊さんが運営するお悩み相談サイトに寄せられた相談について、お話をさせていただきます。
人生の目標について悩んでいる方の切実な声に、私なりの考えをお伝えできればと思います。
相談内容:「目標なんて幻なのでは」
20代の男性の方より、以下のような相談が寄せられました。
この相談文からは、目標を立てることの意味や価値について、深く悩んでいる様子が伝わってきます。
私自身の目標達成経験
実は私自身も、最近ダイエットという目標に挫折した経験があります。
たとえば、9月は食事制限や運動に一生懸命取り組んでいました。
毎日の食事量を記録したり、夜な夜な境内を走ったり...。
でも、10月に入るとお寺での法要や行事が重なり始め、だんだん管理が疎かになっていきました。
つい先日も、檀家さんからいただいたお菓子を「まあ、一個くらいなら...」と思って食べ始めたら、気づいたら箱の半分がなくなっていた...なんてことも(笑)。
このように、目標を立てても思うように進まないという経験は、僧侶の私にもたくさんあるんです。
目標設定の本質について
でも、こういった経験を重ねる中で、私なりに気づいたことがあります。
この相談から感じられるのは、単に目標達成が難しいということではなく、もっと根本的な部分、つまり人生における明確な方向性がまだ見つかっていない状態なのではないでしょうか。
必ずしも今すぐ明確な目標を持たなければならないということではありません。
でも、ある程度の方向性が定まっていれば、日々の選択がしやすくなり、人生の歩みやすさは大きく変わってくるものです。
僧侶としての視点
たとえば、私の場合は「僧侶として生きる」という大きな指針があります。
これは単なる職業選択ではなく、仏教の教えに従って生き、それを実践し、檀信徒の方々や仏教に興味を持ってくださった方々に伝えていくという、具体的な形を持った生き方です。
この指針があるからこそ、日々の小さな判断も
「これは僧侶としてふさわしい行動だろうか?」
という基準で考えることができます。
先ほどのお菓子の件も、実は「食欲を制御できない自分は、まだまだ修行が足りないな」と気づくきっかけになったんです。
具体的なアドバイス
では、まだ大きな目標が見つかっていない方は、どうすれば良いのでしょうか。
私からのアドバイスは、「小さな挑戦をどんどん重ねていく」ということです。
大きな目標や人生の方向性は、いきなり見つかるものではありません。
だからこそ、少しでも興味を持ったことに、どんどんチャレンジしていってほしいんです。
たとえば、
「これ、ちょっと面白そうだな」
と思ったことがあれば、深く考えずにまずは試してみる。
「この本、気になるな」
と思ったら、図書館で借りてみる。
「このコミュニティ、楽しそうだな」
と感じたら、とりあえず見学に行ってみる。
失敗することは全然構いません。
むしろ、失敗することを前提に考えてください。
失敗して諦めて、また新しいことに挑戦する。
その繰り返しの中から、
「あれ?これ、もっとやってみたいな」
と心に引っかかるものが見つかるかもしれません。
おわりに
目標は、最初から完璧な形で見つかるものではありません。
小さな興味や関心を大切にしながら、少しずつ築いていくものなのかもしれません。
小さな挑戦の積み重ねが、いつか大きな目標につながっていく。
焦る必要はありません。
むしろ、トライ&エラーを楽しむくらいの気持ちで、自分の道を探していってください。
きっと、その過程自体が、かけがえのない経験になるはずです。
皆さんも、どんな小さなことでもいいので、まずは一歩を踏み出してみませんか?