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【愛着・AC 克服記録】Column 5-1 愛の証明 (序編)
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「ながらで克服!」〜愛着障害・アダルトチルドレンを克服した中の人の話〜
#017-1 愛着障害克服のもやもやを解決しておく (Column 5-1 解説)
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#017-2 もやもやの続き
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#018 愛情とは? (Column 5-1 解説)
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こちらも長くなるので、「序・破・急」の3つに分けて解説します。(このタイトル、何でしょうね?急の先には何があるでしょうね??)
5-1 序編「愛情とは?」
1-1. 愛の研究 ― フロムの定義
アダルトチルドレンを克服すると、無事に (?) 虚無に到達します (Column 4-1 から 4-4)。
ここからが、愛着障害克服の本番です。
欲しいものは3つ。
① 何か自分の拠り所となるもの
② 自分に愛情を注いでくれるもの
③ 自分に存在意義を与えてくれるもの
そして、愛着障害を完全克服するには、これら3つを「自分の中で補う」必要があるわけです。
いやーーー…………無理でしょ
てか、
自分で自分を拠り所にする
自分で自分を愛する
自分で自分に存在意義を与える
って………頭おかしいんじゃないの?
僕もそう思っておりましたよ。
でも偉大な哲学者たちがいたわけです。
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler) や、エーリッヒ・フロム(Erich Fromm) などの先人が、愛とは何か?を考えていたわけです。
フロムの考えはこうです。
愛とは、
愛される〈体験〉ではなく、
恋に落ちる〈体験〉でさえもなく、
喜びを与える〈行為〉たるがゆえに、
磨かれるべき「技術」
これは、1956年に出版、1991年に新訳版が出版された「愛するということ」という著書で出てきます。
(正しくは、宮台真司氏のレビューの言葉でした)
ここから僕が述べる理論は、このフロムの原型をめちゃくちゃ進化させ、自分の中で「拠り所」「愛情」「存在意義」を自給自足する、というものです。
それができたら、最強ですよね。
どうしてこれまで人類は、この真理に到達できなかったのだろうか?
おそらく、以下の3点が理由です。
1. 言葉の本質的な「無理解」
2. 言葉の意味の、関係性の「すれ違い」
3. 時間軸の喪失: 本来の時間軸から「乖離」してしまっている
これらの言葉って、まさに愛着障害・ACですよね
そして、この理論に辿り着いた酵母マンという人間は、恋愛のプロでも、愛の伝道師でも、幸福をサイエンスしている教祖さまでもないのです。愛着障害で28年間を過ごし、いまだ童貞という、愛を全く知らない人間なのです。だからこそ、誰にでも通用する、普遍的な真理なのです。
(書いてて悲しくなってきたよ…)
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1-2. 愛情とは?
それではまず、「愛情」とは何か?
その本質を探ってみます。
ここで、ある状況をイメージします。
自分には、片思いをしている相手がいる。
相手は、自分とは対象的な、明るく、社交的で、「ポジティブな何か」にあふれている。
そんな相手が、自分の誕生日に、プレゼントを渡してきた。
[リアクション]
え、は?、んん、ぼ、ぼ、僕にっスカ?え、あわ、、わ、、、…ざす
(心の中)
きゃーーーー!なんか知んないけど、プレゼントキターーーー!
え、え、え、でも、なんで?なんで僕みたいのクソダメ人間に、あんな女神様が、、、あああーーー(意識がどこかへ飛んでいく)
素直な気持ちは……
嬉しい!
さて、意識を取り戻した自分は、なんかよくわからんまま、以後その人とは何事もなく過ごしていくのでしょう。
自分が、知らず知らずのうちに、愛情のすぐ側を通過していたとも気づかずに。
彼は最後になんといったか?
、、、…ざす
これが、真理への入り口です!
わくわく!
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1-3. 愛情と感謝の関係性 ― 1周のサイクルで初めて成立!
ざす 【ザス】
[動] 現代語で "ありがとう" の意味。芸人が発明した、あざーすの短縮形。
自分は、自然と、「感謝」の言葉を口走ったのです
では、「感謝」とは一体何でしょうか?。
その意味もまた、「感謝 = ありがたい」という言葉に凝縮されているのです。
有り難い = 存在していること、それ自体が、素晴らしい
つまり、
ありがとう=「感謝」とは、本質的に、相手の存在そのものへの心からの喝采
なのです。
ちょっと待て、有り難いの仏教的な語源は、「有ることがそのものが、難しい、珍しい」だぞ?間違ったこというな。
そこはですねぇ、もしかしたらお釈迦様やお坊さんも言語化には到達していなかったのかもしれません。
なぜ、有り難い = 存在への喝采、なのか?
それも後ほどわかります。
でも、それが何なんだ?
ここで考えてみます。
そもそも、自分が求めていたものは、何か?
ただただ虚無の中、生きる意味を求め彷徨っていた自分は、根源的な「愛」と「存在意義」に飢えていました。
しかし、「存在」に飢えていたはずなのに、自分は無意識に、相手にその「存在」を返し、喝采まで送っている。
何が起きているのか?
ここで、「ありがとう」のきっかけに目を向けると、自分は片思いの相手から、プレゼントを受け取っていたのです。
そういえば、エーリッヒ・フロムは言っていました。
愛とは、喜びを与える〈行為〉
自分は、プレゼントを渡す、という「愛情の行為」を受けることで、「心が嬉しくなり」、「ありがとう、の形で相手に存在の喝采」を返したわけです。
相手を「ポジティブ」な状態に変化させる性質、「正の行為」を伴った「意志」
これが、「愛」の最も本質的説明です。
考えてみれば、こんなにわかりやすいことはない。
愛されれば、ただただ、嬉しいのだ。
自分から相手に愛を与えたくなるのは、その後で、良い。
これを模式的に表したものがこの図です。
Aさんが、「愛情」を伴った行為をBさんに向けてすることで、Bさんはポジティブな状態になり、それを「感謝」の形で、Aさんに返す。
1周サイクルして、初めて成立。
そしてお互いが、喜びに包まれている。
1周サイクルして、初めて成立。
これをいろんなパターンで考えてみましょう。
親の過保護・過干渉・しつけ
子供自身が嬉しいと思っているうちは、それは親の愛です。ですが、子供が鬱陶しい、ありがたくない、嫌だ、と心の奥底で感じ始めた瞬間から、それは親の愛ではなく、ただの自己満足・虐待になります。
恋愛関係
付き合いはじめの頃は、相手からされることは何事も嬉しいものです。
しかし、関係が冷めていくと、嬉しいと思える相手の行為は減っていきます。
一方が、「これだけ愛しているのに!」と叫んでも、相手に感謝の気持ちが生まれていなければ、それはただの、エゴに成り果てるのです。
友人関係・仕事関係
「愛のあるいじり」という言葉があります。TV番組で、後輩芸人が先輩芸人からいじられる時、「おいしくしてもらって、あざっす!」と後輩芸人さんが感じれば、それは愛のあるいじりとなります。
ですが、学校や職場などで、考えの浅いやつが真似をして誰かをいじったときに、いじられた側が「正直嫌なんだけど…」と思うならば、それは愛ではなく、いじめ・名誉毀損です。
ありがた迷惑も、本音は迷惑なんですから、愛のある行為ではなく迷惑行為です。迷惑行為防止条例 (東京都) に抵触するかも笑
大事なことは、する側とされる側の信頼関係なのです。
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1-4. 双方向的な愛情と感謝のサイクル ― 果ては共依存・支配
さて、Aさんの "意志" から始まった「愛情・感謝」のサイクルが無事成立し、なおかつBさん側にもこのサイクルへの理解があれば、どうなるか?
Bさんもまた、「愛情」を伴った行為をAさんに送り、今度はAさんがBさんへ「感謝」を返すでしょう。
互いにこのシステムに理解があれば、2人でどんどんハッピーになるわけです。
愛、強し。
ですが、果たしてそれがずっと続くことが、本当に良いのでしょうか?
仮に、Aさん・Bさんともに、「自分の中に拠り所」があり、愛情と存在を自給自足できる能力があれば、お互いに自分自身の「存在」を保ったまま、「愛情・感謝」のサイクルを継続できます。
これが、健全な関係です。
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① 共依存
しかし、もしAさんとBさんが、「愛情」や「存在」を自給自足できず、他から「奪う」ことしか知らなかったら?
AさんとBさんは、サイクルを繰り返す程に同化し、最後はほとんど同じになってしまいます。
そしてお互いがほとんど同じなら、最早、やり取りを続ける意志が無くなってしまい、「相手を知りたい、ポジティブになってほしい」という感覚もなくなります。そうなると、AさんBさんにとっては、相手がいることが「当然」になってしまいます。
でも、もはや自分と同化して、自分の半分を委ねてしまっているから、離れることもできない。
これが、共依存です。
この状態になったら、AさんとBさんは、「居ようが居まいが、好きにして」という状態になります。
ずぶずぶなカップルで良く見ますよね。
そして、相手の存在や気持ちが、「認識にも入らなくなれば」、あたかも自分は ”パートナーがいない" かのように、他者に、愛を、「奪いに行く」。
罪深い。
ただ世の中の多くの浮気・不倫は、共依存に達する前段階で、相手と気持ちのやり取りを諦める・ないがしろにすることで発生します。
どちらも原因は、「パートナーとの気持ちのやり取りをやめたこと」です。
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② 支配
「互いに依存しあっている」という形には、別のものもあります。
それが、「支配」です。
支配・被支配の関係は、物理的・精神的に不平等な関係の時に発生します。
そして、支配には「愛情の搾取」と「感謝の搾取」の2形態があります。
いずれも、搾取される側が弱い立場にあります。
ちょっと例を見てみましょう。
愛情の搾取 (偽りの存在意義を返す)
・社会的地位や収入もないのに、パートナーを困らせる人。いわゆるダメンズ (あたしがいないと彼はだめなの)。
・過保護に育った人 (私がこの子を大事にしないと…)。
・部下の成果を搾取する上司 (お前のおかげで俺が出世する)。
・ワーカホリック (俺がいないと、会社が成り立たないぜ)
・新興宗教で大金を巻き上げる教祖・教団 (あなたのお布施で、主が喜んでいます)。
感謝の搾取 (偽りの愛情を与える)
・DV・虐待を振るう親・パートナー (誰の金で飯が食えてるんだ?)。
・「俺が、私が育ててやったんだろ!」という親
(子育ても金がかかるのよ?)。
・ブラック企業 (誰がおまえに賃金払ってんだぁ?おい!?)
・今、政府が進める道徳教育の義務化
(親・国家のおかげであなたがいるの → 親に、国家に感謝しなさい)
・純粋な西洋宗教 (試練を与えよう → 神に感謝します)
そして、自分の愛情や感謝のほとんどが搾取され、精神的に支配されると相手に取り込まれてしまいます。
アダルトチルドレンの人は毒親に、ワーカホリックな人は仕事に、パートナーに尽くす人はその相手に、宗教を信奉する人は教祖・教団や信仰対象そのもに取り込まれてしまうのです。
(この文章を読んでいる人は少なからずその自覚があるでしょう)
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こういった関係性の呪縛から逃れるためには、「拠り所」「愛情」「存在意義」を自給自足するしかありません。
どうしたらいいのか?
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Column 5【愛の証明】
5-2 破編 「生きるとは?」
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