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【接続詞の活用で文章は激変する】意外と知られていない「接続詞」の活用法(2011年9月号特集)

文と文の接続の種類

 段落と段落の関係にはどんな種類があるのでしょうか。話を分かりやすくするために、段落と段落の関係を文と文の関係に換えて示します。
 特に難しいことはないと思いますが、文と文の関係が分からなければ、段落と段落の関係も分からず、結果、流れのおかしい文章になってしまいます。しっかりと把握しておきましょう。

意外と難しい接続詞の用い方

 接続詞なんて誰だって使えると思うかもしれませんが、正しく、かつ、うまく使うのは意外と難しいものです。

規定枚数十枚のエッセイに挑戦した。
完成した作品は五枚だった。だから、応募はあきらめることにした。

 特に問題はなさそうですが、よくよく考えると、「五枚だった」と「あきらめることにした」には、「だから」というほどの因果関係はなさそうです。
 それを証拠に、「五枚だった。だから、さらに書き足すことにした」と正反対のことを言うこともできるわけで、その意味ではちょっと飛躍があります。

 おそらく、書き手の中に「五枚以上は書けない」という気分があって、それゆえ「だから」なのだと思いますが、「五枚以上は書けない」とは書かれていませんから、話が飛んだ気になるわけです。

規定枚数十枚のエッセイに挑戦した。
完成した作品は五枚だった。これ以上はもう書けない。だから、応募はあきらめることにした。

 このように書けば「AだからB」という関係が明確になります。
 あるいは、「これ以上はもう書けない」と書かなくても、そのニュアンスがはっきり出ていればかまいません。

規定枚数十枚のエッセイに挑戦した。
最大限長く書いたつもりだったが、ようやく完成した作品は五枚しかなかった。
だから、応募はあきらめることにした。

大きい接続と小さい接続

 ここで言う「大きい小さい」は、接続する範囲のことです。
 では、接続の範囲が小さい例から。

仕事柄、よく「プロになれますか」と 聞かれるのだが、もちろん、なれるとも なれないとも言えない。どんな道を目指すにしろ、なれるという保証があって始 めるものではなく、なれると仮定し、その仮説が正しいことを証明するために頑 張るものだろう。だから、なりたいのなら、その仮説を証明してみてはどうか、 としか言えない。当然、仮説が間違っていたと判断せざるを得なくなることもあるだろう。しかし、突き詰めて言えば、 それはそれでいい。

 

 いくつか文を接続している箇所がありますが、いずれも直前の文章を受けています。
 では、次に接続の範囲が広い例。

家にあれば笥 に盛る飯を草枕旅にしあ れば椎の葉に盛る(有馬皇子)
万葉集にある和歌は、非常に素朴とい うか、ストレートである。
花の色は移りにけりないたづらにわが 身世にふるながめせしまに(小野小町)
こちらは古今和歌集にある歌だが、「色 (色恋)、降る(経る)、長雨(眺め)」と いった掛詞が用いられている。
このように、和歌は万葉集〜古今和歌 集と時代を経るごとに技巧的になってい き、新古今になると本歌取りといったテ クニックが駆使されるようになる。

 

 「このように」は直前の文を受けているのではなく、ここまでの九行を受けて「このように」です。
 接続詞や接続表現を用いる場合は、どの文(段落)とどの文(段落)を接続しているかに注意しないといけません。

こんな接続詞にご用心!

 「『そして』を使わないで書け」と言います。「そして」は使い勝手がよく、どんな局面でも使えてしまいますので、なるべく使わないようにしましょう。多用すると文章修業にもなりません。

外は雨。だから、布団を干さなかった。
外は雨。しかし、布団を干した。

 前者は順接、後者は逆接で、「だから」と「しかし」の入れ替えはできません。「外は雨。しかし、布団を干さなかった」ではおかしいですよね。
 ところが、「そして」は順接、逆接どちらでも使えます

外は雨。そして、布団を干さなかった。
外は雨。そして、布団を干した。

 こんな便利な接続詞だから、小学生はつい使ってしまうのでしょう。
 「しかし」も要注意です……

特集「文章構成法の奥義」
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※本記事は「公募ガイド2011年9月号」の記事を再掲載したものです。

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