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【インプットもアウトプットも大量に】本気で作家を目指す人に必要な行動とは(2012年12月号特集)

※本記事は2012年12月号に掲載した山本甲士先生のインタビュー記事です。


文学賞の選評は宝の山

――作家を志したのはいつでしょうか。

 また、それにはどんなきっかけがあったのでしょうか。
 地方公務員として仕事を始めて三年目ぐらい(91年頃)に、仕事兼用でワープロを購入したことが直接のきっかけでした。
 せっかくワープロがあるので、趣味で読んでいたミステリーを自分も書いてみようかなという、割といい加減なとっかかりでした。

 もう一つは、娯楽小説を乱読した中で、あまり出来のよくない小説も結構世に出てるのだなと感じており、それよりも面白いものが書けたらプロになれるかもしれないという、うぬぼれを抱いたことです。すぐれた作品に触発されたのはもちろんですが、駄作から背中を押されたことの方が、比重としては大きかったような気がします。

――当初は小説ではなく児童文学を目指したのでしょうか。

 私のデビューは96年の横溝正史賞優秀作『ノーペイン、ノーゲイン』です。児童小説は、デビュー後に山本ひろし名義で応募するようになりました。
 子供に絵本を読んでやると喜ぶので、あと数年経ったら児童小説を読むようになるんだろうな、だったら何か書いておこうかな、という気持ちになったことと、山本甲士としての仕事以外にも、もの書きとしての縄張りを持っておけば、片方が不景気のときにもう片方が助けてくれるんじゃないかという打算的な考えもありました。結局、児童小説の方は尻すぼみになってしまっていますが……。

――小説の講座を受講したり、指南本を読みあさったり、あるいは、プロの作家に教えを乞うたりということはされましたでしょうか。

 小説講座に参加したり、プロ作家から直接教えてもらったりしたことはありません。小説やエッセイの書き方にまつわる本は、片っ端から目を通しました。そこから吸収したことは今でも血肉となっています。
 あとは、新人賞の選評ですね。作品は読まなくてもいいから、選評はできるだけ目を通しておくことをお勧めします。やってはいけないことがよくわかる、宝の山です。

どんどん書いてどんどん捨てる

――アマチュア時代は一日に何枚ぐらい書きましたか。また、執筆には一日にどのくらいの時間をかけましたか。

 最初はいきなり長編ミステリーに挑戦したのですが、仕事が終わって帰宅して、就寝前にちょこちょこっと書く時間しかありませんでしたので、二枚~五枚ぐらいをこつこつと続けてました。時間はせいぜい一~二時間というところだったと思います。

 少しずつでいいから、できるだけ毎日、ワープロの前に座ることだけは心がけました。一行も書けなくてもいいので、ワープロの前にとにかく座る、最低十五分は他に何もしないでそこに座っている、ということを自分に課してました。習慣とはたいしたもので、そうするうちにスイッチが入って書けるようになるものです。プロになってからは、プロット作りや資料集めをする時期もあるので毎日書くわけではありませんが、いったん書き始めると、一日十枚ぐらいのペースでしょうか。

――小説のトレーニングとしてもっとも効率がよいのはどのような方法だと思いますか。

 第一は、どんどん書いて、どんどん捨てることですね。最初のうちはどうしても、独りよがりな、気取った表現などを書いてしまうし、たいがいは本人が思っているほどの作品ではありません。そういうものは何度手を加えてもろくな作品にならないので、思い切って捨ててしまい、どんどん新しいものを一から書いてゆくことがトレーニングになるわけです。実際、プロになったら次々と書いてゆくことが求められますから。

 あと、個人的にはテレビ放映された映画を片っ端から録画して、それを観ながら気づいたことをメモしたことが創作の役に立ちました。良作からよりもむしろ、駄作から得たものの方が大きかったように思います。「ここをこうすればもっと面白くなるのに」「主人公を若い男性でなく、おばさんにしたら全く別の物語になるんじゃないか」など作品に対する不満が、新しい物語の種になることが案外多いんです。

――アマチュアがやってしまいがちなテーマ、設定、書き方などをいくつか挙げていただけますでしょうか。

  • 文章の基本ができてなくて、台詞が誰のものなのか、登場人物の人相風体などがよく判らない。説明文と描写の違いを知らない人が多い。

  • 書き手と等身大の主人公を設定するのはいいが、悩める青年のパターンばかりで退屈。

  • 物語を面白くするには「主人公を困難な立場に置く」という基本中の基本を知らない人が多すぎる。

  • 一場面一視点の原則が守られていない。神の視点は説明口調になりやすいし、多視点は読者を苛々させるので、特定の登場人物の視点で描くのが基本。

  • 無駄な登場人物が多い。名前をつけるべき登場人物とその必要がない登場人物の区別をしていない。キャラクターの描き分けがあいまいで、次に登場したときに思い出せない。

  • やたらと喫茶店やファミレスなどでの会話場面が多い。

  • 村上春樹さんの文体を真似る人がなぜか多い。

選考委員に試合をさせない

――プロになったあと編集者とはどのようなやりとりをするものですか?

 デビューした版元からは、受賞第一作までは面倒を見てもらいましたが、その後は連絡をもらえなくなりました。そこで、こちらから「こんなプロットを考えてみたのですが」と連絡して、一応OKをもらい、書き上げた原稿を渡したのですが「やっぱり出版しない」と言われてしまいました。

 このままでは消えてしまうと危機感を持ち、片っ端から「書き下ろしのチャンスをいただけないでしょうか」という内容の手紙を添えてデビュー作を各出版社に送りました。ほとんどは返事をもらえませんでしたが、中には電話で「頑張ってくださいね」という電話をくれる編集者もおり、その機会を逃さず、「こんなプロットを考えてみたのですが、ご検討いただけませんか」と持ちかけて、いくつかの仕事に結びつけることができました。最初の数年はそんな感じで、何とか仕事をもらっていたのですが、そうするうちに、こちらからアプローチしたことがない出版社からも依頼の連絡をもらえるようになりました。どこかで誰かが見ていてくれているし、読んでくれているものです。

――96年に公募ガイドの「賞と顔」のページに出ていただいたときに、ブラジリアン柔術の戦い方を応用し、「選考委員の先生方に試合をさせない」戦略をとったと書かれていました。このような戦法、戦略についてお聞かせください。

 当時のブラジリアン柔術の基本戦法は、打撃技につき合わないでいきなりクリンチやタックルで組み付き、そのまま相手を倒して得意な寝技で料理する、というものでした。小説の新人賞も実はこの方法論は有効で、例えば警察社会の内部を克明に描いたミステリーだと、選考委員はみんなその分野に詳しいので、いろいろと欠点を指摘されてしまうことになり、どうしても減点法の採点になってしまいます。法廷もの、ハードボイルドなどもしかりです。

 一方、選考委員がよく知らない世界を舞台にしたものを書くと、欠点が見つかりにくいし、珍しさからも好評価を得られやすいわけです。私のデビュー作になった『ノーペイン、ノーゲイン』は、ウエイトトレーニングの世界を舞台にし、トリックも特殊なトレーニング器具を小道具に使いました。そのお陰で、候補作の中でも特に印象に残ることに成功したようです。過去の乱歩賞や横溝賞の受賞作を見ても、選考委員の得意分野は避けて、舞台設定の珍しさで点数を稼いだ受賞作は多いと思います。

――アマチュアの方にアドバイスなりメッセージなりをお願いします。

アドバイスやメッセージは、ありきたりの短い言葉だけではなかなか伝えることができません。できれば拙著『そうだ小説を書こう』をお読みいただいて受け止めていただければと思います。どうすれば書けるようになるのか、どうすれば面白い物語になるのか、何をするべきで何をするべきでないのか、文章技術と小説技術はどう違うのか、どうすればアイデアが得られるか、などなど、かなり詳しく紹介したつもりです。

特集「作家になる技術」
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※本記事は「公募ガイド2012年12月号」の記事を再掲載したものです。

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