「伝わる文章」が書けるようになったら、これをさらに進化させ、「共感させ、刺さる文章」を目指しましょう。
剌さる一行を生かすも殺すも描写力
出来事を再現することで読み手に追体験してもらい、言葉で説明することなく体感してもらう。それを実現するのが描写です。描写は説明しても伝わらないような感覚、感情などを伝えるのに向き、「うれしかった」「悲しかった」とは書かずに、出来事だけを書きます。いわば、書かずに表現するというのが描写の極意。
「武士の一分」として映画になった藤沢周平の『盲目剣谺(こだま)返し』は、失明した夫のために家名存続を願い出た妻の加世が、その代償として身体を要求され、死んだ気になって相手に身をまかせるという筋。それが発覚し、加世は離縁されますが、最終的に加世は許されます。
「うれしい」とは書かず、泣かせています。「離縁したことを許す」とは書かず、「食い物はやはりそなたのつくるものに限る」と言わせています。絶妙と言っていい表現力です。また、主人公は盲人ゆえ、聴覚や嗅覚を使った描写が多く、これも情景を喚起させます。
共感させるには、自分の話ではないかと思わせること
共感や共鳴には「共」という字がつきます。これは「同じ」という意味。書かれたことについて、読み手が「私と同じ」と思うこと。
しかし、「朝起きて歯を磨いた」では、「同じだ」とは思っても共感はしません。「どうせ汚れるのになんで磨くんだろう」ならどうでしょう。ちょっと共感されるかもしれません。共感されるためには、同じは同じであるけれど、何か心にひっかかっていたような思いを突く必要がありそうです。
又吉直樹・せきしろ共著の『まさかジープで来るとは』の中に、又吉直樹作の自由律俳句として、
「こんな大人数なら来なかった」
という句が載っています。数人の飲み会だと思っていたら十人以上いて、初対面の人と話すのは億劫だなあという感じでしょうか。
また、同書のせきしろ作に
「常連客と楽しそうなので入れない」
というのもあります。常連客の多い店って、なんだかアウェーだという疎外感があります。万人には共通しませんが、わかる人にはわかる。そういうところを突かれると、共感、共鳴という現象が起こりやすくなります。
情景を描いてその中に思いを込める
遠藤周作夫人のエッセイです。「主人が死んじゃうとは、つまりこういう事なんだ」が刺さりますが、これを支えているのが桜吹雪の情景。情景を書くと場面を共有できますから、読み手は「私も見たことある」と思い、情景に託された心情に反応して共感します。人間を描くのに自然をうまく取り入れた例です。
物を出してそこにテーマを象徴させる
「その気になりさえすれば、いつだって死ねる。確実に死ぬための道具もある――そういう思いが、父親をこの齢まで生き延びさせた」が刺さります。
作者の兄二人は失踪、姉二人は自死していますが、その父親の暗く重い人生が拳銃に仮託され、ずしりと重い。物に語らせた小説の最高傑作。
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※本記事は「公募ガイド2017年4月号」の記事を再掲載したものです。