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リアルに会うとアウトだった日々のこと。

まだうつ傾向があって、外出することが難しかった頃のことです。パソコン通信はわたしの世界を一気に広げてくれました。

チャットにハマって

夜な夜なチャットでいろいろな人と話をした。特定の人と話すことはなく、いつも行き当たりばったりだった。

チャットのシステムも使いようによっては待ち合わせが出来たのだけれど、回りくどいことが苦手なわたしは参加人数が二人以上のチャットルームに入っては話をしていた。

こっそり二人だけで話す、ということも出来たということを思い出した。

だから「テレクラ」みたいと思われたのか。

たまに会ったりもして

話が盛り上がった時には、みんなで会おうということになったりもした。ある時には、翌日の夕方にミナミで待ち合わせをしたのだけれど、8人くらいいたような気がする。

みんなでボウリングをして解散した。

ひとり、横須賀から来ている男の子がいたのには驚いた。

後々、東京に遊びに行った時に、横須賀の案内をしてもらったことがある。

米軍基地と繋がった自衛隊の基地を見てショックを受けたことは今でも覚えている。これはわたしにとって大きな経験となった。

ある日は夜勤の人と話していて、思いがけず近所の人(電車で駅三つくらいの距離)だったので、お互いのちょうど真ん中くらいの駅で待ち合わせをした。

途中で抜けられる夜勤とはすごいですね。

夜中に出かけるわたしに親は何も言わなかった。

外出することに驚いていたかもしれない。もしかしたら。

喫茶店でしばらく話をした後、これあげると言って社名の入った文房具をもらった。今ももらった文房具を使っている。何年経っているのか。

ある時は浜松の人が神戸に行くから、途中で大阪の案内をしてほしいと言ったので出かけた。通天閣や海遊館を回った。

こんな調子でいろいろな人と会った。出会うのは男性ばかりだった。この頃のパソコン通信では女性が極端に少ないというのが特徴だった。

しかし二度目はないような

だいたい勘の悪いわたしも、この辺りまで来ると察しがついた。

実際に会ってみて、わたしが可愛かったり、もっと女の子っぽかったりしたら二度目があったのだ。

だから会った人はみんな残念な気持ちになって去ったのだろう。

横須賀の男の子とは時々チャットで話したけれど、他の、一度でもわたしと会ったことのある人は、わたしと話そうとしなかった。

でもこれはわたしのせいではない。勝手に期待されても困る。

さらに言うなら、わたしの言うことはあまり「女の子らしく」ない。

女の子らしくないことしか言わないわたしに、いろんな容姿や態度を求められても、無理というものだ。

二度会った横須賀の男の子も、いつの間にか縁遠くなった。

結局、つき合いが続いたのはフリーライターの男の子だけだった。

一度も会ったことがなかったのがよかったのだろう。

見知らぬ人からのメールに

ある日、全く知らない番号の人からメールが来た。

「番号」というのは今でいうIDのようなもので(ようなもの、ではなくIDだろうが)、名前を知らなくても番号だけでメールは届く。

読んでみると、

居住地を絞って自動的に送っているメールです、と書いてあった。なんだこりゃ。

自動的にメールを送る、ってなに?意味がわからない。

よかったら遊びに来ませんか。

お誘いのメールだった。

住所とパスワードが書いてあって、なんとなく面白そうな気がして行ってみた。

これが、いわゆる「草の根BBS」というやつだった。




【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。



画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。

当時のわたしにとっていろいろな人とチャットできることは、カフェで楽しくおしゃべりしているのと同じことでした。

危害を加えられる心配のない、安心できるカフェでした。

例えるなら、こんな素敵な飲物が出てくるようなお店です。

温かい作品をありがとうございます。



地味に生きておりますが、たまには電車に乗って出かけたいと思います。でもヘルパーさんの電車賃がかかるので、よかったらサポートお願いします。(とか書いておりますが気にしないで下さい。何か書いた方がいいと聞いたので)