いっぱしの女
氷室冴子さんという人を知っていたけれど、知らなかった。
映画の「海がきこえる」は好きな映画で、その原作を書いてた人、学生のときそういう風に知っていたけれど、それ以上その人について知りたいとは思わなかった。
本屋の文庫コーナーで、いつものようになんとなく棚を眺めながらうろうろしていると気になる本があった。それが「いっぱしの女」というなんとも惹かれてしまうような、味のあるタイトルの本。加えて、脱力感があるのにぐっときてしまう表紙のデザイン。迷わず手に取って、読んでみた。
直感は合っていて、好きになった。1日で読んでしまった。
エッセイが好きになる理由は、そこに書いてあることにすごく共感できるかできないか。自分も感じたことがある感情や状況が書かれている文章のセンスというかその人ならではに心が惹かれてしまうかどうか、だと思います。
氷室さんのエッセイは間違いなく私の心を鷲掴みにするものでした。
「年表をめくる意味について」というエッセイが特に良かった。
私が学生のとき、女性の友達と食事に行って話題にしたことがある話があった。
そのときの私は一日中、一年中なにかに追われて焦っていた。
その日も、そんな話になって、同い年のあのスポーツ選手はもう何億も稼いでるって考えると、自分ってどうしたいのかわからないよね。そんな話を友達にしたのを覚えている。
どうして覚えているかというと、その友達にはまったく共感されなかったからだった。「どうして?スポーツ選手と自分を比べるのはそもそもおかしいし、自分は自分だから、好きなことを続けていけばいいんじゃないの?」そんなことを言われて、私はもうなにも言えなかった。けれど、その言葉が心に響いたわけではなく、「友達が言うことは一理あるのだけれど、そうじゃないんだよな。」そんな風に思ったことも覚えていた。
そんな私の経験と同じことがこのエッセイに書かれていて、同じように男友達にそんな話をされた氷室さんは、あのときの友達が言ったことと同じことを考えて、書いていた。
そんな話をされて、
「わたしはただ、驚いていた。すわっていた椅子からズリ落ちるほど驚いた-わけではないけれど、「はあー。そんなもんですかねぇ・・・)と思うほどには、びっくりした。
そんな風に書いてあった。
ナニゴトかをなした著名人と自分を比べること自体、ヒトと生まれたからにはナニゴトかをなすべきだという発想が根底にあるわけで、それをやっぱり立身出世をよしとする価値観を、十字架のように背負っていることに他ならず、それがいかにもオトコの人だなあという感じがしたのだ。
読んでみて、はじめてあのとき友達が思っていた感情を垣間見たような気がした。
本当に思っていたことはわからないけれど、自分が知らなかった視点を知ることができた。
この後もエッセイは続いていくのだけれど、そこに書かれていることもいいのだけれど、この本を読んで、忘れていたような記憶がふわっと立ち昇ってきて、こんなことを思って、書き残しておきたいと思ったのでした。