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目が合う
道を歩いているとき、どこを見たらいいのかわからなかった。
でも、人が大勢横断歩道を渡る交差点ではそう思わない。
ちょっと先の、反対側で信号待ちしているあの人と目が合う。
しばらく見つめ合っていても、距離がある、人が大勢いる。彼女は安心する。
人がいない道、夜の散歩道。
誰もいないと建物を見たり、信号の光を見たり、
植え込みに生える名前がわからない木や草を見たり、顔がよく動く。
ちょっと先の曲がり角、人が現れてこちらに歩いてくる。
目の端でその人を捉えつつ、彼女は決してその人を見ることはできない。
もし、目が合ってしまったらどうしようもなくいたたまれなくなる。
なにがあるわけではない。
誰かも知らない人と、もし目があって、こちらからは彼女ひとり。
向こうからはあの人ひとり。
すれ違うまでのその時間、一度目を合わせてしまうとどうしていいかわからなくなる。どこを見たらいいのかわからなくなる。どこを見ても嘘くさくなる。そして自分が少し情けなく思えてしまうのだ。
簡単に、スマホを手に取って見つめたりしたらいい。
でもそれも嘘で、恥ずかしく思ってしまう。
また、夜に散歩して、向こうから人が歩いてきた。
ちょうど彼女とその人の真ん中、道を猫が横切った。
ビルと家の隙間から、反対側の家の庭の茂みに入っていった。
彼女もその人も歩くことはやめずに近づいた。
二人ともその茂みに、姿が見えなくなった猫を見つめながら。
すれ違う。
目の端にとらえたその人はマスク越しに微笑んで、猫がいるはずの茂みを見ながら歩いてた。そして、その人もどうやら私を目の端でとらえているように思えた。
少し、なんとも言えない幸福を感じた。
猫がいた。誰かもしれないその人を少し近く感じた。
自分と同じような人なのかもしれない。感情が通じるかもしれない。
そう思いながら、ふと振り返りたくなってみた。
見た。もうその人は角を曲がっていなかった。
その瞬間はあっという間になくなり、猫もその人もいなくなった。
彼女はいつも通り、また歩きはじめた。