その発言、誰かを傷つけるものになっていませんか?(『詩経』大雅・抑篇)
今回取り上げるのは『詩経』大雅・抑篇からの言葉。
白く清らかな玉が欠けたのならば、磨き直せば良い。しかし、発した言葉が失敗すると、もはやどうにもならない、という意味。
つまり、失言を無かったことにするのは不可能なので、発言するときは慎重に行いなさい、ということですね。
「圭」は、諸侯などが持っていた玉のこと。
非常に高価なものではありますが、多少欠けたとしても、もう一度磨き直せば元の輝きを取り戻すことができます。
しかし、人の発言はそうではありません。
一度口から出てしまうと、取り消すことはできないのです。
覆水盆に返らず、とも言いますよね。
特に、SNSが普及した現代では、ちょっとした失言が瞬く間に全世界に広がってしまいます。
その言葉を見聞きして傷ついたり、嫌な気持ちになる人もいるでしょう。
例え、その場の勢いのせいだったり、お酒に酔っていたせいだったとしても、言葉の受け取り手にとっては関係ありません。
口から出た時点で、その言葉は独立したものとして、インターネット上に漂ってしまうのです。
一方で、言葉にはポジティブな力もあります。
誰かを応援したり、誰かに感謝したりする言葉は、人に勇気や元気を与えるのです。
『荀子』には、以下のような表現があります。
人に優れた言葉を贈ることは、金銀宝石を贈ることもよりも尊い、という意味です。
ちょうど一年ほど前に取り上げた言葉ですね。
私も、いつも皆様からいただくコメントに励まされています。
一時期、本格的に体調を崩したこともあったのですが、皆様からのスキやコメントが心の支えとなりました。
応援や感謝の言葉をいただくのは本当に尊いものなのだと、今では強く実感しています。
人をポジティブにする言葉は、いつの時代もすばらしいものなのです。
私も言葉選びは慎重に行い、誰かをポジティブにする投稿ができるよう、日々心がけていこうと思います。
今回は、失言を無かったことにするのは不可能なので、発言するときは慎重に行いなさい、という言葉をご紹介しました。
一度発した言葉は、二度と取り消すことはできません。
感情が昂って思わず何かを発信したくなったときこそ、要注意です。
一度自身の投稿内容を見直してみて、「誰かを傷つける内容になっていないか」をよく考えるようにしていきたいですね。
それでは今回はここまで。
また次の記事でお会いしましょう👋
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