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人生を豊かにする中国古典の名言#62

【今日の名言】

焉んぞ佞を用いん
(読み:イズクんぞネイをモチいん)

『論語』公冶長篇

どうして口達者というだけで人を用いたりするだろうか、という意味。

孔子が口下手な弟子を侮辱されたときに怒って反論した言葉です。

つまり、話し上手か口下手かという点だけで、その人の価値は決まらないのだ、ということですね。


私は人見知りで緊張しがちな性格なので、おしゃべりが得意な人にはちょっと憧れています。

「私も〇〇さんみたいに上手に喋ることができたらなぁ……」

と、他人と自分を比べて落ち込むこともしばしば。

なんとか改善しようとビジネス書を読んでみたり、YouTubeの動画を見てみたりもしたのですが、もともとの性格はなかなか変えられないんですよね。

困ったなぁとモヤモヤしていたときに出会ったのが、今回の孔子の言葉です。

「おしゃべりが上手だからと言って、なんだと言うのだ!」

と言わんばかりの孔子の怒りっぷりにびっくりした記憶があります。

このとき孔子は、自身の弟子である冉雍(ぜんよう)が口下手だとバカにされて怒っていました。

たしかに冉雍は生まれが貧しく、口下手なところもあったのですが、それ以上に人柄がとても優れていたので、孔子は大事に育てていたのです。

そんな大切な弟子をバカにされては、さすがの孔子も怒り心頭。

人の価値は口達者かどうかで決まるものではない、と強く反論したのでした。


このエピソードを知ってからは、人見知りで口下手なところがある自分を、以前よりも受け入れられるようになりました。

コミュニケーションではおしゃべりの上手さも大切ですが、それ以上に「真摯に相手に伝えようとする気持ち」も大事だと思います。

どんなに話術が巧みでも、相手を言い負かしたり、表面的な会話に終始しているだけでは、相手を心から納得させることはできません。

この点については、孔子も「口車に乗せてうまく言いくるめても、相手から憎まれるだけだ」と指摘しています。

人を禦ぐに口給を以てするときは、しばしば人に憎まる
(読み:ヒトをフセぐにコウキュウをモッてするときは、しばしばヒトにニクまる)

『論語』公冶長篇

無理におしゃべりを頑張って相手の不興を買うくらいなら、多少口下手でも真摯に相手と向き合って、誠実に自分の意見を伝えようとしたほうが良いと思います。

孔子は仁と誠を大切にしていました。

仁は相手を心から思いやることで、誠は自分の本心に正直になることです。

相手を思いやりながら自分の意見を伝えることができれば、それはコミュニケーションとして成功したと言えるのではないでしょうか。

おしゃべりが上手かどうかだけで、人の価値は決まりません。

大事なのは、「真摯に相手に伝えようとする気持ち」なのですから。


今回ご紹介した言葉は、以下の回でも取り上げています。

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前回の名言はこちら👇

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凪平コウ@古典・歴史愛好家
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